思えば高校時代の友人が最高だった~信州のきゃりーぱみゅぱみゅ・Rさん篇~
忘れもしない中学時代。
教育委員会か文部科学省かは知らんが、どこぞの組織が『友だちについてのアンケート』とかいうクソみたいなものを実施しやがりまして。
そのうちの一つに『あなたは友だちと呼べる人が何人いますか?(10分以上1対1で話せる人に限定)』みたいな、思春期のメンタルを平気でブレイクさせる質問があった。
()の中を「わざましん28・しねしねこうせん」で焼き払ってやろうかと憤慨したことを覚えている。
まあ、そんなわけで私は友だちが少ない。
言っておくと友だちができないのではなく、大学まである程度の人間関係をそれなりに築いてきた方だとは思う。
……が、卒業するとその「友だちっぽい関係」は瞬く間に消えていくのである。
私の友人・砂上の楼閣説。
むしろ陽炎だったのでは? とすら思えるレベルで。
私自身が「人間関係の断捨離」などをやっているなら頷けるが、私は15歳のときから電話番号どころかメールアドレスすらそのままの人間だ。
誘いが来たならば二つ返事で駆けつける準備を常にしている。
にも関わらず肝心な連絡がほぼ皆無ということは、卒業してまで私とつき合おうと考える人間がいないということなのだろう。
解説させんな、泣きたくなるだろうが。
友情が途絶えるぶっちぎりの理由『自分からコンタクトを取らない』を自覚しつつも直す気がないあたり、なるべくしてなったとも言える。
正直なところ、友だちは思い出の中にいれば十分だと思う。
本当につき合いが続いている人間は1人か2人。
あとは美しい思い出として脳内にコレクションしておけばいい。
そういえば昔『トモダチコレクション』というゲームが流行ったが、まさにそんな感じだ。
いや、あのゲームは多分そんな内容じゃないはずだけど。
ただ中身は昆虫採集とさして変わらない気もするので、狂気の沙汰としか言えないゲームなのではないだろうか。
それはさておき。
高校卒業からもうすぐ10年という節目に、トモダチコレクションを懐かしんでみる。
未だにJKを見ると同い年くらいだと思うんだけどなァ……。
① 信州のきゃりーぱみゅぱみゅ・Rさん
きゃりーぱみゅぱみゅが発音だけでなく、文字に起こすのも手こずるなんて思わなかったわ。3回打ち直した。
つーかこの人私と同い年だったのかよ。
大信州のイモ畑で育成されたわりに、渋谷や原宿にぶち込まれても違和感なく生きていけそうな風貌をしていたRさん。
私服校だったのだが、ここら辺では見ないような奇抜でセンスのある服を着ているファッションモンスターだった。
顔も心なしかきゃりーみゅぱみゅぱさんに似ていた気がする。
こと他人の顔面に辛辣な意見を浴びせる私の母君が「この子、可愛いね」と集合写真を見て言ったくらいだから、本物だろう。
中学時代に日傘を差して登校したり、サブバッグとしてキャリーケースを引いたりするような奇特さを見せた彼女だが(中学は別なので人伝に聞いた)、とにかく問題児だった。
悪い子ではないけど、教師たちの手を焼かせるタイプ。
中でも印象深いのが「うさ耳リボンボイコット事件」だ。
うさ耳リボンというアイテムをご存じだろうか?
二次元だとよく見られるヒロイン力の高い髪飾りなのだが……
実はこれリアルでもあって、ヘアゴムとかヘアバンとかカチューシャで再現できるらしい。
ある日、Rさんがそのうさ耳リボン(カチューシャタイプ)をつけて登校してきた。
いやなんというか、「ディズニーから直帰しましたか?」みたいな派手めのデザインで、朝っぱらから笑わせてくれたのはいい思い出。
もちろんその頭のまま授業を受けた。
そして事件は現国だったか古典だったかの時間に起きた。
国語のA先生は縄文時代から転生してきたかような風貌の、気難しい教員だったのだが、どうやらRさんのリボンが気に食わらなかったらしい。(私は当時別コースだったため、後から聞いた話だ)
リボンを外せとRさんに言ったが、Rさんの教師に対する反骨心は並ではない。
しょっちゅう先生たちに怒られていただけあって、ちょっとやそっとのことじゃビビらないの。
頑なに拒否するRさん。
激昂するA教諭。
はっけよーいの押し問答、やがてA教諭はそのまま授業を中断してどっかへ行ってしまったのだとか。(おそらく国語準備室とかだろう)
中・高ともに怒ってボイコットしてしまう教員が時々いたが、今になって考えれば立派な職務怠慢である。
一般企業でそれがまかり通ると思うなよ?
彼女らはそのまま自習――というかただ喋っていただけだと思うけど、1時間を過ごしたらしいが、その後『A先生を迎えに行かなかった』という意味不明な罪状で担任からこっぴどく怒られることになった。
当のRさんはケロッとしていたわけだが。
そんな破天荒なRさんにはよく背中にチョークで落書きをされたり、感想文やテストを食べられたりした。
どうしてか知らないけれど物理的な噛み付き癖のある人で、私の旧携帯(ガラケー)にはRさんの歯型が付いている。
居残りまでして仕上げた感想文をわずか数秒で食べられた時には「ちょwwなにしてん!!」と思ったが、なぜか怒れない愛嬌さも兼ね備えていた。
ちょくちょく赤点を取るので放課後はよく勉強を教えていたけれど、「わかりやすい、ありがとう!」と言ってた次のテストで数学が20点だったときの絶望感よ……。
私は教師になれないんだろうなと悟った。
大抵の日は私の宿題を写していた。
高校時代はジャージかチェックのシャツばかりを着ていた私とファッションモンスターがなぜ友だちだったかといえば、彼女にもオタク趣味があったからだ。
初めてまともに話したのは、たまたま班が一緒になった1年秋の学習合宿だった。
ただの派手な子だと思いきやぶっ飛んだ奇行をかまし、私は2日間でたいそう彼女を気に入った。
なにせいきなり人の携帯に噛み付いて電池パックを舐めだす所業、私のどストライク、スリーアウトチェンジって感じ。
ジョジョやドラえもんが好きで、けいおん!のアニメはいいけど原作は認めない、みたいなこだわりがあるらしかった。
部活は写真部と美術部を兼部するサブカル派。
ファッションのとおり独特な感性を持っており、東京モード学園とかにいそうな、つまるところ退屈な田舎にしては突然変異型の子だった。
彼女がかけてくれた言葉で、今でも忘れられないものがある。
持ち前の明るさと愛嬌で友だちの多い子だったが、同じくらい人間関係に対する悩みもあったらしい。
というか奇行ばかりが目立っていたが根は真面目で、どちらかといえば繊細な子だったように私は思う。
グループ内のいざこざや恋愛トラブルがあると、彼女はよく私と帰りたがったので、近所のファミマなんかでお菓子を食べたりして話を聞いた。
そう、Rさんは常に一緒にいた子ではなかったのである。
彼女にはもっと仲のよいグループがあったし、高2のころはずっと話していたような気がしたけれど、同じコースで席が前後だったから一緒にいる時間が長く感じたのかもしれない。
思い返せば高3でコースが別になってからは、朝の時間や掃除と放課後くらいしか話していた覚えがない。
そんなわけでRさんと一緒に帰るときはお悩み相談が多かったのだが、私は口下手ゆえに元気付けたりアドバイスをしたりするのが苦手だ。
もっと適任いそうだけどなぁ、と思っていたあるとき、彼女は「すずめちゃんは私の言うこと絶対に否定しないし、人の悪口を言わないから好き」と言ってくれた。
嬉しかった、本当に。
私は他者の考えや感情を頭ごなしに否定しないこと、そして他人の悪口を言わないことを中学生のころからかなり意図的に気をつけている。
井戸端会議のような陰口ハリケーンに巻き込まれても、「いや、自分○○さんのことよく知らないから、わからない」と言い続けてきた。
このスタイルは距離を感じさせてしまうしその場を白けさせることもあるのだが、だからこそ認めてもらえると嬉しい。
これからもポリシーを突き通そうと強く思えたのは、彼女の言葉があったからかもしれない。
同時に、こういう感情をきちんと言葉にして相手へ伝えられる素直さが羨ましくもあった。
Rさんはその後東京のモード学園的な専門学校に進学し、連絡は途絶えた。
19歳のころ再会して牛角に行ったのを最後に会っていない。
そのとき何故か玩具のヌンチャクを持ってきて振り回していたのがいまだ謎である。
とりあえずLINEのお友だちにはいるため、名字が変わったりホームが赤ちゃんになっていたりしていることから、なんとなく幸せな様子が想像できる。
そういえば1度、共通の友だちから結婚式のメッセージカードを頼まれたような気もする。
もう高校時代のように駄弁ったりすることはないのかもしれないが、彼女が後ろにいた1年はメチャクチャ楽しかったし、一緒に過ごした日々を忘れはしないだろう。
Rさんの素直な生き方が好きだと、私もあの頃口にできていたら良かったのにと、今でも思う。
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