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縄をなうことから思うこと

縄文時代というのは、今から2300年〜13000年前の時代のことをいうが、実際に縄文時代という言葉が生まれたのは、明治時代になってからのこと。
日本考古学の父と呼ばれるエドワーズ.S.モースさんが、発見された土器の報告書に「Cord marked」と記したことから、和訳され縄紋→縄文時代へ。

あれ⁈日本語由来ではないんだ。。

とはいえ、縄を作る技術がすでにあったこと。
それが、どんなことを意味するか。
実際に縄をなってみると、いろんなことが観えてくる。

まず、縄をなうのも、意外と難しい。
両手で同時に二つのワラの束をねじり、そのねじりと逆方向にからみ合わせる。すると、ねじりが戻ろうとする力が噛み合って、ひとつの縄になるのだが、馴れるまでは、手が4本欲しくなる。

縄をなえるようになると、草鞋や簑、米俵、と、いろんなモノが作りたくなる。
反対に、多くの藁細工は、縄をなえないと作れないモノも多いことに気がつく。
縄は日本のモノづくりの原点なのだ。

その延長線にうまれたのが、屋根。
竪穴式住居も、蔓や木の皮で縛っていた時代もあっただろうが、縄の発明により一気に精度も上がり、茅葺きの技として、脈々と受け継がれてきた。

縄の発明とは、言葉の発明と同じくらい、人類の発展に貢献してきたのではないかと思う。
と同時に、現代では、人が縄をなわなくても、屋根が葺けるほど、モノづくりの技術も発達し、縄が暮らしに登場することさえ、減ってきている。

昔の茅葺き職人は、夜なべして翌日に自分が使う縄をなっていたとか、茅無人という仕組みの中で、茅を提供する代わりに縄を提供していた家もあったとか、茅葺きを語る上では欠かせないはずの「縄」。

茅刈りと同じように、縄文屋根では、縄をなうことを大事にしていきたいと、改めて思うこの頃。


縄をなうことと、火を焚くことは、どこか似ていると思う。
まず心が落ち着く。
いろんな思考が広がって、誰かと一緒にやっていると、話も尽きない。
そして、止めどきが分からず、ついついずっとやり続けてしまう。

何より、言葉でやり方を教えることも、なかなか難しいこともよく似ている。

そもそも、茅葺きを始め、伝統技術や昔の暮らしには、言葉や数字では伝えられるようなものではない感覚がたくさんある。
逆に、エビデンスベースの現代は、言葉と数字ばかりを重要視し、言語化できない感覚を理解しようとしない傾向が、人を貧しくしているのかもしれない。

生きるためには働かなければならないと、思い込んでいる現代に、
働くことが生きることだった時代があったことを、縄はそっと教えてくれている。

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