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「出来ない」と思っていたことは、ただの甘えだった話


皆さんこんにちは!
第二回目の投稿になります、下野です!

もうすっかり春ですね🌸🌸🌸
ちょうど営業からサポートに移ったのが4月だったので
その当時を思い出し、振り返らせていただきます。

※トップの写真は、私とチームのメンバーです。
 みんな本当いい笑顔!(^^)!

1.15新卒田舎娘、東京で営業職にひた走りチーフへ

高校まで岩手、大学は群馬だったので
こんなに人口密度が高く、せわしい街は初めてでした💦
ただ、元々の負けず嫌いな性格と
営業の楽しさを見出した下野はがむしゃらに営業活動を続けます。

勿論楽しいことばかりではなかったです。
ポンコツ過ぎて、右も左も分からず…
怒られては悔しくて泣いた日も数知れず・・・(笑)
それでもお客様に会いにいくのは楽しくて
求人広告の営業をしていたので
いい人が採用出来たり、お客様の会社が大きくなっていくのは嬉しく。
お客様や上司のおかげもあり、2年目の10月チーフ職に昇進させていただきました。

2. 突如きた体力の限界…


元々保健室登校するような小学生で
常に何かしらの薬飲んだり、保健室で休んでましたね。
あの部屋の天井の飾りは今でも鮮明に覚えている程に。。
成長を重ねる度に丈夫になっていたと思っていた身体が
突如悲鳴を上げてしまいます。

今考えると、シンプルに健康管理の一択なのですが💦
野菜も食べないし、お風呂はシャワーのみ、
ごはんは基本コンビニかラーメン…。

会社の皆さんは心配してくださるのに
営業をやり続けたいという一心でがむしゃらに動くも
何もうまくいきませんでした。。

3. 私にサポートなんて無理

そんな中、営業サポートという道を会社から進めて頂きました。
今思えば本当に有難いことです。
本当に本当に。
ただ、当時の私は、営業しか受け入れられず
というか自分がサポート向きではないと思っていたので
私には出来ないのではないかと、
すごい顔で働いていたと思います。。本当に猛省。

そんなとき、社長に飲みに連れてっていただき
色々とお話しを頂きました。
営業だけが全てではないこと
サポートという仕事がどういものか等々
本当に今でもあの時間が忘れられないですし
何考えてたんだろう自分と、恥ずかしくなりました。
ここでも猛省と感謝です。。

それからというもの、営業サポートとして何が出来るか
同じような仕事をしている人がどういうことをやっているのか等も含め
調べあげ、実践を繰り返しました。
よくある、「出来ない」と思っていたことは
「甘え」でしたかなかったんです。

今思えば本当にやりづらいサポートだったと思います。
ただ、結果課として達成することが出来、
皆さんからこんなあたたかいメッセージを頂く事に。
涙ですよね、本当。
申し訳なさと、有難さと、嬉しさと。

「出来ない」と思っていたことは、ただの甘えだった話 (1)

そんなこんなでサポートとしての半年が過ぎていきます。

4. 与えて頂いたサポート課の課長というお仕事

サポートって元々課ではなかったんですよね。
上記でサポートという仕事を調べた時に
絶対的に営業や各部署との連携が必要になるということを学んだこともあり
サポートは組織として構成した方がいい!と
再三ご迷惑をおかけしたにも関わらず
いきなり、昇進試験で課長になりたいです!と言い出す私。

私が働くプレシャスパートナーズでは
本人のなりたい意思を尊重し、昇進試験を受けることが出来ます。
本当に有難い制度です。

昇進試験では、今の会社の課題と
今後こうあるべきだ、こう私が作っていく!と
どの口がいえたものだと今は思いますが(笑)

本来成果ありきですし
そもそも今までにない課を任せられるかというところ等
諸々懸念しかなかったと思いますが

そのような状況でも私に「課長」という仕事を与えて頂きました。
感謝してもしつくせません。

そして、はじめての組織で部下10名任せて頂けることになり
不安なかったといえば噓になりますが
実質わくわくがとまりませんでした。

今期はより多くの達成者を生み出し
たくさんの笑顔を作っていきたいと思っています!!!
今思えば、たくさんの笑顔を頂いていたなと。
私からメンバーの笑顔をより引き出していければと思っています!

次回以降は私が働くプレシャスパートナーズに関してや
サポート課に関してももっとフォーカスを与えていきたいと考えてますので
よろしくお願いいたします!

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