聖女か?狂人か?映画『ベネデッタ』が世界を過激に挑発する
欲を禁じるはずの修道院で私利私欲にまみれた聖職者たちの謀略が巡る。彼らの企みに利用される修道女ベネデッタ、彼女は聖女か?狂人か?
『ベネデッタ』は17世紀のイタリアの修道院を舞台に、奇跡の聖女として崇められたベネデッタと、彼女を取り巻く人々の企みと破滅を描いたサスペンス映画だ。
監督は『氷の微笑』、『ELLE』で知られるオランダ出身の鬼才ポール・ヴァーホーベン。ヴァーホーベンといえばエロスとグロ、世間に対して挑発的といえる作風で知られている。今作では聖域である修道院を舞台に愛と欲に塗れる人々の姿が描かれる。
本作の題材になっているのは、歴史上初の女性同士の同性愛裁判を記録した書籍『ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア』。17世紀に実在した修道女のベネデッタ・カルリーニの人生に着想を得て映画化されている。
ベネデッタは本物だったのか?ペテン師だったのか?
物語の争点になる部分だが、その答えは分からない。私にはベネデッタ自身はそこまで欲に執着はしていないように見えた。
ベネデッタは修道院長になりたがっていた訳ではないし、その後の騒動に関しても身に降りかかる火の粉を落とした結果だ。少なくとも必要以上に他者を陥れたり攻撃はしていない。
聖痕や取り付かれたような言葉が本当か狂言かは分からない。ただ、妄想を見ていることからも、ベネデッタが(彼女なりの方法で)神を信じていたことは間違いないのだと思う。
そもそも本作の目的はベネデッタの正体を明かすことではない。映画はベネデッタを通して聖職者たちの欺瞞を暴くことにある。
映画は序盤から修道院の裏側を描く。
修道女が幼きベネデッタに「欲は罪だ」と諭す一方、修道院長はベネデッタの父親に対し入院金額を交渉している。
ベネデッタの周囲も私利私欲に塗れた人物ばかりだ。
彼女を人集めの道具にしようと目論む司祭に、ご馳走を食べ召使を妊娠させる教皇大使など、私たちが思う聖職者たちの姿からは程遠い。
特に面白いと思うのは「神を信じる」という点で、ベネデッタと他の登場人物たちの顛末が対比になっている点。
そのことを表しているのがラストの暴動シーンだ。
自ら火に飛び込むシスターフェリシタや崇めらるはずの民に刺される教皇大使、神を信じなかった者はいずれも悲惨な末路を遂げ、神を信じたベネデッタが生き延びる。
立場が逆転する構図がカタルシスが感じられて痛快だし、結果的に彼らへの神罰のようになっているところも皮肉的だ。
偉人か狂人かなんてのは結局のところ周囲の評価でしかない。実際、ベネデッタのような偉人も歴史上にいたのだろう。『ベネデッタ』を観終わった後はそんなことを思った。
ヴァーホーベン監督らしく、本作はエロスとグロさにも溢れている。
成人指定だけあって同性愛描写も赤裸々。ベネデッタを演じたヴァルジニー・エフラもバルトロメアを演じたダフネ・パタキアも惜しげもなく美しい裸体を晒している。
生々しい描写もヴァーホーベンらしい。聖痕やバルトロメアの拷問場面は痛々しく思わず目を背けたくなってしまった。
また、女性の権利が軽視されていた時代において男性社会の中で権力を手にしていくベネデッタの姿から、フェミニズム映画として本作を捉えることもできるだろう(ただしヴァーホーベンは、昔からフェミニズムという域を超えた強烈な女性主人公を世に輩出してきた監督なので、敢えて意識してなさそうだが…)。
しかし、ヴァーホーベン監督、80齢を超えているに『ELLE』に続きこれだけアグレッシブな作品を撮り続けているのが本当に凄いと思う。
スコセッシやイーストウッドと同じくヴァーホーベンにも長生きして欲しいよ。
※本作の元になったベネデッタの同性愛裁判を記録した本。興味あるけど、値段が高くなりすぎて手が出しづらい…
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