スキマ時間を考える

自分が非効率的な人間だということは重々承知だ。
何故ならスキマ時間を有効に使えないからだ。

5分あったら休みたい。5分あっても、これこれしかできない。
そういって色々なやるべきことを後回しにする。
後回しにして、自分に余裕が出来たら時間を見つけて一気に消化する。

そんな風に過ごしてきた。

今まではそうやって生きてきたが、最近になり日々のタスクが増えた上で同様の立ち回りをしていたところ余裕が無くなってきてしまった。
余裕が無くなると、精神的にストレスが溜まる。食習慣が悪くなる。寝不足になる。余裕がなくなったせいで、身体的悪影響が起こってしまうことは、当たり前のようなことで、割と気づかないことが多い。
何となくやる気が起きないな・・と言う時は、余裕が無いときだ。
そうすると、スキマ時間どころかそもそもの時間が身体の調整に取られてしまう。

”5分あったら休みたい”

冒頭で書いた”5分あったら”休みたい
裏を返せば”5分さえも休まなければ体が持たない”状態と言える。
まずは5分―スキマ時間があったとしても、それを休憩に使うような生活習慣にしないことが第一歩なのかもしれない。

効率がいい人の口癖。

効率がいい人は口をそろえて「時間は作れる」という。
私はこの言葉を嘘だと思っていた。それはその人の職場がそうであり、私生活が自由で時間があるからだと思っていた。だがそれが今回スキマ時間を改めて考えた時、「時間は作れる」という言葉が嘘でないことを分かった。

時間は作れる。作れる時間を用意するためには日々のスキマ時間を綺麗に扱うことが大事なのだと思う。端数的活動(たった今作った言葉だが、つまるところ仕事や作業にかかる準備、時間が足りなくて少し終わらなかった分の活動のこと等を指している。)をスキマ時間に当てはめていくことで日々の活動を円滑に進めているのだと思う。
その結果が、その人が就いている職が余裕がある仕事であったり、スキマ時間をうまいこと使って時間を作れる環境なのだと思った。

時間が作れない人

何故この「時間を作れる」という認知が、人によって違うかについて考えると、そもそも「時間を作れる」と思っている人間とそうでない人間との私生活に差がありすぎるからだ。常識が異なるのだ。
常識が異なる人に「時間は作れる」と言っても、それを認めようとしないしその作れない理由をその人自身が持つ能力の違いと定めてしまい、そもそも時間を作る努力をしなくなる。これは、かくいう私のことなのだが。

時間を作れなかった人間、言い方を本来のトピックにすると「スキマ時間をうまく扱えなかった人間」はどうなってしまうのか。
端的に言えばしわ寄せがくる。様々な端数的活動をスキマ時間に行わなかった手前、すべての活動―睡眠から食事から取り組んでいる作業に遅れが生じる。遅れが生じると、今やっていることで手一杯になってしまう。それは新しいことを始められないことを意味する。つまり生産性の向上が図れない人間なってしまう。
こうなっていると、精神面でも参っている可能性がある。そもそもの固定化した生活が余裕のないものになっている可能性がある。そうなっていた場合、立て直すには時間が掛かる。ここでも時間だ。時間が無いのに立て直す時間が掛かるようになるのだ。

時間が無い人はどうすればいいのか

こうなってしまっていた場合、どういう対処をすべきなのか。
まずは生活面の見直しだろう。小さいころから刷り込まれてきた早寝早起きの週間。早寝とは言わずとも、いつもより1時間早く寝て(余裕が無い人間は深夜まで起きていることが多いため、1時間くらい余裕で早く寝れるはず)いつもより2時間早い時間に起きるだけで生活は変わる。
睡眠が出来ているか否か、そして1日のスタートが気持ちよく出来るかどうかでその日の生産性が変わってくる。こうすることでスキマ時間を認識できるような生活に戻していくことが第一のステージであると思う。

生活習慣を正しいものにし、生産性を高められる状態にする。その上で端数的活動が発生するように作業をこなすことが大事なのかもしれない。何故そう言えるかというと、作業自体にも余裕を持たせるからだ。
この時間にぜったい100%終わらせる!という考えそのものが余裕がないものであり、そこで義務感が発生することでいらない疲労がたまってしまう。

だから1日の作業量を決める時、100%の作業量を推定し、そこから80%ほど作業量を減らして見積もる。たとえその80%が終わらなかったとしても見積もりが少し外れたと思えればそれだけで義務感が減り、精神的な負担も減ることで余裕が生まれる。

何事も余裕を持つというスタンスを忘れない。そのスタンスを持つためには、生活習慣と言う土台は必要不可欠であるというのが私の考えだ。

現状はすぐには変わらないからこそ気を付けること

現状はすぐには変わらないと思う。生活習慣を変えること自体がそもそも難易度が高いのは重々承知だ。私も早寝早起きが続いたことはなく1週間に数日などが関の山である。ただ1日でも、気持ちよくスタートを切れる日があったとしたら、その日はきっと普段より余裕が生まれ他の日よりも少し出来ることが増えていると思う。

そういったちょっとした充実感が人生を変えていく。
まずすべきは、生活習慣を見直し、スキマ時間を見つけること。そして余裕が生まれていればそこで、休憩や所謂暇つぶし以外の出来ることをやってみる。(休憩が悪というわけではなく、休憩するならスキマ時間でなく、しっかりと時間を取るべきという考えのもと)最初のうちは、読書でもいいし、こうした自分を見直すような時間としても使って、スキマ時間の活用に慣れるのが第一歩である。

理想は見つけたスキマ時間に端数的活動をこなすことだが、余裕が無い人は、そもそも端数的活動が生まれるように作業をこなすのが難しい。タスクに追われていたり、精神的に余裕が無かったりするからだ。
ただスキマ時間の意識と観察をし続けているうちに、きっと日々の思考の中で端数的活動を見定めるのが癖になっていくと思う。
スキマ時間を見つけるのが簡単になってきたときには、作業量との兼ね合いがとれるようになり、そこにスムーズに作業を当てはめられるようになっているはずだ。そうなっていれば、生産性が上がっており効率的な生活を送れるようになっている・・・はず!

まとめと余談

何故この記事を書こうと思ったか、後半の歯切れが悪い理由は余談へと続きます。


余談
大体上で書いてあることは、自分の私生活の堕落さを見直したものです。私は作業効率が悪いし、暇があれがTwitterか寝ている。ただそうなってしまったのは、日々の疲労からであるなとふと思い、今回記事を書こうと思いました。ごめんなさい、半分くらいウソです。Twitterでライフハックみたいなツイートが流れてきたのをみて、「あぁこういう考えがあるのか、なるほど」って思ったうえでそれを鵜呑みにせず、自分なりに落とし込もうとした結果がこれです。
スキマ時間あれば寝たいよね。いま書いてて私も書き終わった安堵から一気に眠気が来ました。でもここで寝たらダメ。リフレッシュに使うか、次の作業をどうするかなど次に活用しようっと・・・というちょっとした意識で日々は変わるのかなって。
自分で考えをまとめるとスッキリするね。そして頭の中が整理されて実行しやすくなる。上で書いたスキマ時間活用の例のひとつとして、自分の頭の中を整理する、も大事かもしれない。やってみてください。私も頑張りますから。

ここまで駄文に付き合って頂きありがとうございました。共に生活を改善しましょう。

しもきたろん。




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