密航者が支えるメーソートの街はミャンマーの映し鏡
タイのメーソート。市街地から約5キロほどの地点がミャンマーとの国境。境界はモエイ川だ。川幅も狭いため、簡単に渡ることができる。しかし新型コロナウイルスの感染拡大で国境は封鎖。その後、タイ側の河岸には延々と有刺鉄線が設置された。ミャンマーでは軍のクーデターが起き、その弾圧を逃れてタイに密入国する人々を止めることが目的だった。その川岸を有刺鉄線に沿って歩いてみた。対岸のミャンマーの街、ミャワディをしっかり見ておきたかった。ところがそこでタイ軍の兵士にみつかり、川を渡ってきたミャンマー人という疑いをかけられてしまう。執拗な尋問。国境は緊張していた。そしてメーソートの街へ。そこで多くのミャンマー人を目にすることになる。
旅の期間:3月10日~3月11日
※価格等はすべて取材時のものです。
タイ版ビジネスホテルは1泊600バーツだった
(旅のデータ)
コロナ禍前、タイの地方都市に行くと、ホップイン、フォーチューンディーといったタイの安めのビジネスホテル風のホテルに泊ることが多くなった。市街地にある古めの安宿が好みなのだが、時代の流れで客足が遠のいているのか、後継者不足なのか、廃業してしまう宿が少なくない。となると、1泊500バーツから700バーツのホップインなどになってしまう。円安のいまは、1泊2000円から2800円といったところ。欠点は市街地になく、国道沿いの立地が多いこと。車でくる人への対応なのだが、これも時代ということだろうか。安めのビジネスホテルはいたって快適である。過度なサービスはないが、必要なものはすべてそろっている。簡単だが朝食もついている。日本のビジネスホテルのタイ版だと思えばいい。メーソートのホップインは国道沿いで600バーツだった。
「どうしてここにいる」「どこからきた」⋯⋯。質問は執拗だった
(sight 1)
川岸の有刺鉄線に沿って歩いていくと、国境橋の脇が広場のようになっていた。そこに1台の軍用車両。国境を警備する兵士を乗せてきたのだろうか。しかし周囲に兵士の姿はない。緊張感はなく、ただ静まり返っているだけ。橋の上にも、広場にも人の姿がなにもない。もう少し川に沿って歩いてみることに。
(sight 2)
商店がずらりと並ぶ一角にでた。しかし店はすべてシャッターを降ろしていた。遠い記憶を呼び起こす。リムモエイ市場ができる前、このあたりがにぎわっていた。新型コロナウイルスとミャンマーのクーデターは街を廃墟にしてしまった。さらに進む。と、木造家屋が集まる一角があり、そこからミャンマー語が聞こえてくる。物売りトラックに、ミャンマー人がよく身に着ける筒形衣類、ロンジー姿の女性たちが集まっていた。コロナ禍前、タイに入国し、このあたりに住み着いた人? 見るとその脇が川岸遊歩道のようになっていた。そこに有刺鉄線。対岸のミャワディがよく見えそうだった。
(sight 3)
ミャワディの街を動画に撮り、スマホを鞄にしまおうとしていると、背後から声をかけられた。振り返ると兵士がふたり。表情が堅い。「パスポート」という野太い声が響く。漂う緊張感。つづいて鞄のなかをチェック。「どうしてここにいる」「どこからきた」⋯⋯。質問は執拗だった。ミャンマーからモエイ川を渡ってきたのでは、という疑いをかけられた。どこかに連絡をとっている。軍の施設か警察に連行か⋯⋯。重い空気のなかで覚悟する。尋問は30分以上つづいた。兵士の表情はなかなか崩れない。「すぐにメーソートに戻りなさい」。胸をなでおろす。遊歩道から離れ、木造家屋の間の未舗装路を歩く。振り返ると、まだ僕を監視していた。
看板の笑顔があまりに空々しい
(sight 4)
国境橋の入口近くまで戻った。食堂が店を開きはじめていた。見あげるとこの大きな看板。タイの携帯電話会社の広告だった。しかしタイ語がまったくない。橋を渡ってタイに入国したミャンマー人向けだった。改めて看板を見あげる。広告用につくられた笑顔とはいえ、妙に空々しい。新型コロナウイルスとミャンマーのクーデターは、国境の空気を変えてしまった。周囲は音もなく静まり返っていた。
(sight 5)
バイクタクシーでメーソートに戻った。ホテルは国道沿い。最後にメーソートにきたのは2019年だった。新型コロナウイルスの蔓延がはじまる年。この道を大型トラックが埋めていた。越境に時間がかかるようで、車列が延々とつづく大渋滞だった。その道がいまはこんなにすかすか。鼻白む思いでバイクから写真を撮った。
「こうすれば警察が許してくれる。賄賂も少々」
(sight 6)
夕飯をとりにメーソートの中心街に向かう。(旅のデータ)でも伝えたように、タイ版のビジネスホテルは市街地から少し離れた国道沿いを好む。車でくる客が多いのだ。市街地の入口にガネーシャ象。インドでは知られた象の頭をもった神。タイはテーラワーダという小乗仏教の国だが、ヒンドゥー教の影響を受けている。タイ人は仏像に手を合わせるが、ガネーシャにも祈る。両刀使いというわけではないが。
(sight 7)
街は暗かった。多くの店が閉められていた。コロナ禍である。タイ政府は酒の提供を禁止し、テイクアウトの方針を打ち出した時期もあった。バンコクは規制がだいぶ緩和されてきたが、地方は地方のルールが支配する。一軒の食堂をみつけ、「ビールは?」と訊くと「禁止」という返事。この街ではまだ酒の提供はできない? しかしタイ。どこかに? これは僕の勝手な勘なのですが。そのあたりは次の写真で。
(sight 8)
ムーカタという焼き肉店が店を開いていた。入口で訊いてみる。「ビールは?」。どうしても小声になってしまう。「大丈夫。さあ座って」。そこで出されたビールが、写真の右手の青い大型保冷マグカップ。そこに1本分のビールが入っていた。ビールは壜で出せないのでこういう裏道マグカップ。「これってかえって目立たない?」。店のオーナーに訊くと、「こうすれば警察が許してくれる。賄賂も少々」と笑った。タイですなぁ。
「1日300人は増えてるからね」
(sight 9)
翌朝、メーソートの市場街を歩く。死んだような夜から一転、活気にほっとしたが、よく見ると、表示はタイ語とミャンマー語の半々。ミャンマー語だけの店も多い。ミャンマー人が市場を支えていた。市場のおじさんに訊くと、「1日300人は増えてるからね」「300人?」「そっと川を渡ってくるんだよ」。メーソートの市場は密入国ミャンマー人で支えられている?
(sight 10)
気になって市場の周辺を歩いてみた。ここはミャンマー通り? と思えてくる。メーソートに以前から住んでいるミャンマー人と、モエイ川を渡ってきたミャンマー人。なんとなくまとっている空気でわかるような気がした。このふたりの女性は密入国? そんな気がした。軍のクーデターに反発し、抗議デモに参加した女性かもしれない。軍に捕まることを怖れ、川を渡った?
(sight 11)
ミャンマー人の多さは、積みあげられたタナカの量が物語っている。ミャンマー人は朝、これを石板で擦って肌に塗る。メーソートの街で息を潜めるように暮らす密入国ミャンマー人。しかしこの街から外に出ることは難しいという。街から出る道には、タイが厳しい検問を敷いているのだ。越境を許可しているわけではないが、メーソートまでは⋯⋯というタイ式の国境管理術? そのほうが効率よく国境を守ることができる? それともタイ人の優しさ? そこにあるのはタイとミャンマーの間にある「あうん」。その話はsight12 でも。
(sight 12)
市場に戻った。働くこの女性は密入国ではない雰囲気。おそらく両親が以前の軍事政権を嫌い、10年以上前にタイにやってきた。その娘さん? そんな気がする。メーソートはミャンマーの映し鏡のような街。ミャンマーを軍が支配すると、この街にやってくる人が増える。一方で弾圧が起きたら、一方に移って息を潜める。タイとミャンマーの人たちは、国境をうまく使って生きのびてきた。それがアジア式国境ということだろうか。
空港では入念なチェックがつづいた
(sight 13)
その日、飛行機でバンコクに戻ることになっていた。市場からバイクタクシーに乗った。運転手のおじさんはミャンマー人だった。空港に着き、写真を撮らせてもらおうとすると断わられてしまった。おじさん運転手は密航者なのかもしれない⋯⋯ふと、そんな気がした。
(sight 14)
搭乗手続きの手前でタイ軍のチェック。これはミャンマー人がバンコクに向かうことを防ぐのが目的? つづいて空港ターミナル入口の入念な新型コロナウイルスチェック。一気にタイ社会に戻された。メーソートでの行動を宿泊先を含め記録していく。感染者が出たときに追跡することが目的だろう。バンコクより真面目。感染者が多い大都市より、感染者が少ない地方のほうが厳格対策というのはタイだけではない世界の傾向。
(sight 15)
飛行機に空席があったのはラッキーだった。というのも、その日のバスは満席。ならば飛行機⋯⋯と検索すると、ノックエアーの席があった。ノックエアーはメーソートとバンコクを結ぶ唯一の便。2日に1便に減便されていたが。かつてはここからミャンマーのモーラミャインとも結んでいた。コロナ禍の空から眺めると隔世の感。
【次号予告】次号は1回休載。次回6月10日です。毎週金曜日の公開です。バンコクに戻り、帰国の準備? そうPCR検査。
新しい構造をめざしています。