京都の学校と制服

※2019/3/3にはてなで書いたものを加筆修正したものです

今では少なくなりましたが、京都は公立学校において制服を導入してこなかった都市でした。私の両親の世代では中学・高校のいずれかで、制服に袖を通したことがなく、中・高で制服を着た事がないという人も少なくない。特に親と、教育者側もその存在を認めてこなかった。私の卒業した某高校も制服を元々導入しておらず、2000年代に入ってからブレザーの制服を導入しました。制服を導入していない高校は自由な校風である事が多いのですが、これは自主性を重んじる生徒自治の象徴として広がっていったもので、自治都市京都らしい話と思いました。

 府立全日制高校は全て制服を導入し今では私立、市立の一部しか残っていません。鴨沂高も私が高校生の頃に制服を導入した。制服を導入した高校の多くがかつての自由な校風が失われました。女子ですとスカート丈やメイク、髪を染める、ピアスなんてもってのほか。しかし、校則が厳しいと抜け道を楽しむ子もいる。ナチュラルメイクでバレないように工夫を凝らすなんてまさにそうでした。反対に自由だと最後は画一的になる。制服のない高校や大学では卒業式で女子は羽織袴、男子はスーツとか。

 私が小学校に入る前、京都駅で数百人の高校生に遭遇した事がある。みんな大きなバッグをもっていて何をしに行くんだろうと思ったらそれは修学旅行へ行くのだと親から教わった。制服のなかったその当時の学校(どこかは覚えていない)の生徒は思い思いの恰好をして他の地域へ行く。あんたらには負けへんと女子はとびっきりのオシャレをして駅に集合していた。今にして思うと良い光景だなと思い、自分が京都人である事に誇りに思う出来事のひとつでした。(私の高校の修学旅行は地味なものでしたが……)

制服関連の記事を見ると、

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/93736

 記事で紹介されている高校は「自由をはき違えたような服装も目立ち学校に元気がなかった」という。単純に制服がない方が良いとは言い切れないのがわかります。制服導入後、定員割れも解消されたという。制服の良い点として「統一感や登校で服の選択に迷わない」「服装による個人差がなくてよい」「学校の帰属意識・仲間意識が高まる」など。
 ある府立高は「『制服マジック』として制服を着用すると『かっこよく見える』『かわいく見える』と考える生徒が多数いる。制服を着こなすことで愛校心も育ち、誇りある高校生活を過ごすことができる」とした。一方で課題として多く挙げられたのは「高額となり家計の負担が増える」といった価格に関する指摘。ほかに「個性を尊重する雰囲気をつくりにくい」「動きにくい」「教員が生徒に注意する場面が多くなる」などの意見も寄せられた。(中略)

自由過ぎると、教師が指導以前に「わきまえ」を教えられるのか? という問題が出てきます。あまりにも自由過ぎると、何をやっていいのか反対にわからなくなる。妙にぎこちなくなり、最終的には横並び状態で、画一化していくというのはよくある話。進んで自己規制に向かうのも同様です。単純に制服を失くせばOKという話ではない。教師をやっている友人から、生徒の多くに自分で自分を支えられる意識を持たせられるか? という話を聞き、社会不安が増す世の中ではなかなか難しいだろうなと思いました。

京都に限らず、全国の高偏差値、進学率トップの高校は制服がなかったり、校則がほとんどない学校が多い。これは、「みんなは選ばれた生徒だからわざわざ言わなくても自発的に学習に取り組める」というものがあろうと思います。一方、中位辺りの高校は校則が多く、それでなんとか向上心をうめこめようとする。あまりにも行き過ぎた校則はともかく、制服や校則の有無にしろ、どちらも絶対とはいえない複雑なところがあります。「いい学校生活とはなんなのか」について議論が大事なのかもしれません。

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