フジファブリック「若者のすべて」はなぜ、タイムレススタンダードになったのか

 最近知った事なんですが、フジファブリックの「若者のすべて」が高校生の音楽の教科書に載るらしい。令和の時代の高校生にこの名曲が知られる事になるわけですから音楽ファンにとっては嬉しい事。オルタナティブロックはポピュラリティの強いロックと比べ正当に評価されない場合が多く、この作品も売上が特別に多かったわけではなかった。日本音楽界の至らない部分を今回は音楽の教科書に採用されるというのを聞くと日本の教育もまだまだ捨てたものではないと思う。(教育関連の事はまた別にやりますけど)

「若者のすべて」は志村正彦氏が作詞・作曲した作品で、夏の終わりを彩る名曲です。聞き飽きぬメロディーとそれによって生まれる空想と風景の連なり。曲が進めば否応もなく寂寥感が到来する。

 作り手には永遠の少年性や少女性が存在する。他愛のない日常から切り取られたフォトグラフに永遠を詰め込むようにして生まれた音像が作り手の代表曲になることが多い。私は花火大会のない街で生まれ育ちましたので、花火大会=夏というのがどこか遠い。見に行くなら隣の市へ移動しなければならない。(夏は祇園祭と五山の送り火)それを埋め合わせるように出会ったような気さえする。ただこの曲は、夏の終わりの叙景と叙情を淡々と歌うだけではなく、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」とも歌っているし、先へと進む熱も同時に持っている。

「最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」この最後のフレーズを聴き終えるとあの夏に帰れるような気分になる。







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