教育のあれこれ

京都の某学校で教師をやっている友人とのやりとりをメモ程度のレベルでまとめたものです。

学校によくクレームをいれるか? 答えは

No ベネッセの調査では80%以上の親が学校に満足していて、まったく・あまり満足していない親は13.3%で、満足している親の割合はむしろ増えている。友人もモンスターペアレントのような保護者は一度も見たことはないという。

塾に通う子供たちの方が学力が高い 答えは

No 塾に通う前から学力は高い。昔に比べて学力が低下しているというのもデータ上は存在しません。OECD生徒の学習到達度調査(PISA)では教育水準の高さで知られる北欧よりも日本の子ども達は勉強ができるというデータが出ています。

給食は意味がない? No 健康維持の為に必要。 日本の子どもは世界で一番肥満率が低く、海外と比べると体育の授業が充実している事や部活動も関係してる。

 完璧な制度というわけではありませんが、文科省も教職員の組合や或いは業界団体の圧力等で、方針を決定している部分があると友人は指摘しており、だから普通、教師は文科省だけを批判なんかしないとのことでした。文科省だけが悪いのではなく、公立であれば自治体(つまり総務省)に問題があるわけで、校舎にしろインフラにしろもっと国が自治体にお金を出すようにならないとダメというのは同感です。

あと部活関連ですと、部活動の外部委託の手法検討 スポーツ庁

調べたら何故か経産省の案が出てきましたが、経産省はマクロ経済政策が主に専門なので、(※クールジャパン政策でそもそもやらかしてますが)内需拡大の方に尽力していただきたいとして、私立はともかく公立というのは無料でサービス受けられるのが当たり前で、仮にこの案を採用して、保護者に金銭負担が生じるなら反発が出るのは当たり前だと思います。中にはサービスを受けるなら払うべきという方もおられるでしょうが、例えば図書館で本を借りるのは無料です。誰もお金を払いませんよね? 民間が赤字になるからやらない事を補う為に公立(行政)が存在するわけであって、なんでもかんでも民間に委託するというのはリスクが大きい。特にコロナ禍の影響で多くの自治体はお金も人材も不足しています。これもちょっと構造改革のようなきな臭さを感じてしまいます。

 私は別に部活が悪いとは思いません文武両道という言葉のとおり、(毎日やる必要はないと思うけど)勉強も部活(スポーツ)もばりばりやってる子とかいましたし、(私の高校では京大に行った生徒、他の高校だと東大に行った生徒もいる)勉強が不得手な子たちの為に、学校に部活動は必要というのは前提条件としては違うというのがこれでわかります。

 これは私と友人のちょっと偏見に近い事かもしれませんが、ジャンル問わず部活をやっていた子(自分達の時代も含めて)の方が友人や恋人関係に恵まれているような気がします。生徒同士のコミュニケーション、共同体 そういう意味では全否定する必要もないと思います。好奇心の高い十代では尚更な事で、勉強以外の事も重要。学校は文化的な事もセットで学んでこそ、尊厳を得られるのではないかなと思います。

 友人曰く、負担軽減は当然やるべきものの、部活動の外部委託は学校、公共施設の整備とセットで議論されるべきで、ただ丸投げするように切り離すだけなら絶対に失敗する。特に各競技団体や教職員の間でも意見が割れるらしく、中高に関わらず、休日手当などをもっと多く出す最低2日休日を義務付ける事からはじめないとダメとの事。教師の負担軽減と子どもの為という双方の視野から考える必要がありそうですね。

 最近、父から借りた本でなるほどなと思ったのが、松田聖子の名曲に「ガラスの林檎」という作品があります。この曲はレコード会社から、発売前にタイトル変更を求められた事があるそうで、松本隆氏曰く、「林檎」という漢字が難しく子どもは読めないからカタカナに変更するよう求められたそうです。しかし、氏は「読めないなら、これで読めるようになる」と返答し、そのまま発売されました。作品が1位を取り、当時の小学生が林檎という漢字を読めるようになる。これもある意味教育で、思考停止が常に付きまとう教育に良いヒント、好奇心が大事であるというエピソードですね。

 あとこの本には最近よくある論破というものにも触れていました。以前、まともな教師は論破よりもコミュニケーション。友人も学生時代に様々なアルバイトをし、これが意外と役に立っていると話していて、これも当然ですが、論破という言葉自体、私は角が立つ言葉であり、理論で負かしても時間の無駄でしかないと思っていて、相手を屈服させる事だけで喜びを得るなんて、幼稚園児と変わらないですよね。劣等性や仲間がいない人種特有のものと思われます。

 先述のOECDの教育局長は「日本は最も効果的で平等な質の高い教育水準を維持すること」極端に自虐的にならず、かといって自信過剰にもならずにぐらいがいいのかもしれません。足りない部分よりも足りてる部分から見た方が、また景色も違ってくるものです。

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