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お笑い心理論「おかしさ」について

 <「おかしい」は二種類ある。>

   一つは「様子がおかしい」、「頭がおかしい」といった時に使われる「おかしい」だ。それを見ている人に不安や恐怖を与えるような違和感を表している。つまり、「理解できない」し、理解できなくて「笑えない」のである。
   これに対して、「表情がおかしい」、「おかしい話」といった時に使われるのは、主に「思わず笑ってしまう」という意味の「おかしい」である。それを見ている人に「安心感」や「緊張状態からの解放感」を与えているのである。つまり、違和感の正体が既に分かっている時や、「よく分からなかった、気づかなかったが、ある瞬間にそれが理解できた」時には、人は「笑える」のだ。

<「おかしい」は愉快か不愉快か?>

   勘の良い方は気づいていると思うが、上記で例として出した言葉は、全て逆の意味で捉えることができる。例えばピエロや芸人等のパフォーマーが動いている「様子がおかしい」時、人は笑ってしまうし、一定の条件下では「頭がおかしい」が「とても面白い」という意味の褒め言葉になる。また、例えば、挨拶をしただけなのに隣人の「表情がおかしい」と、とても不安になり、不気味に感じるし、「おかしい話」というのも、結末がはっきりしない、語っている人の声や表情と話の内容が一致しない、といった場合には、その理由が分からない間はモヤモヤと不愉快な違和感ばかりが残るはずだ。
  

<恐怖や不安があると「笑えない」>

 つまり、同じように「おかしい」(いわゆる「普通」ではない)状況を「笑える」か「笑えない」かを分けるのは、「安心感があるかどうか」という点であり、それは「その違和感の理由が明らかになること」、また「客自身の恐怖感を引き起こさないこと」に懸かっているのである。漫才においては、「意味が咄嗟に分からないボケを見ている客が、ツッコミという的確な補足説明で笑う場合」と、「ツッコミが進行役となって合いの手を入れながら引き出した、客自身が説明できるようなボケ側の明らかな違和感で笑う場合」とがある。またしばしば起こる「何だか分からない(理由が明確ではない)が笑ってしまう」という状況は、ひとえに恐怖感や不安感のない、客が完全にリラックスした状態でのみ起こりうる。客が身構えている場合には、「客の違和感を代弁しつつ解消するツッコミ」や「初見の客でも明らかに分かるボケ」でもって客の快感情を刺激することが重要である。勿論その時には、あなたを身体的にも精神的にも傷つけるつもりは全く無いですよ、むしろあなたを楽しませたいんですよ、というパフォーマー側の意思を、客がハッキリ理解していることが不可欠である。

<皆を不安にさせやすいネタ=ギリギリのネタ>

   こう考えると、「他人を笑わせる」というのは「他人の感情を言外でコントロールする」ことであるといえる。そういった意味で、いわゆる「ギリギリのネタ」というのは、多くの客に不安感を与える可能性があるネタ、という訳である。パフォーマー自身は意外性があって面白いと思っていても、客としてはネタ中に恐怖感や違和感を解消できないと安心できないから笑えないのである。ギリギリのネタに対する印象は、その時の客層や社会情勢、流行の思想などで変化するので、常識が後から変われば、後の世でボコボコに叩かれる可能性がある。

<客の感情をコーディネートする>

   また、客の感情を揺さぶる、という目的において、言葉の調子や間で作る流れの緩急が重要である。意図的に相手へ多少の違和感を与えた後、ギリギリまで引っ張ってからその違和感を解消したり、違和感を真面目に捉えさせる前に、間髪入れず違和感の種明かしをしたりすることで、より大きな解放感や納得感を与えられるので、効果的に相手をリラックス状態に持っていくことができる。つまり大きな笑いを生み出すことができる。


   でもやっぱり、そもそも論だが自分が面白いと思うネタをやってる時が一番「面白い演出を考えつきやすい」し、何より、ちょっとした表情や仕草も含めてパフォーマー本人が輝いて見えると思います。ね。

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