不登校語り①私が不登校になるまで

こんにちは。2回目の投稿です。

今回から何回かにわたって、私の不登校経験とそれに付随する思いを書いてみます。

今日はまず、不登校になるまでのことを。

受けていた嫌がらせ

 不登校になった一番の原因は、クラスの男子からの嫌がらせ。入学式の日、隣の席だった男子(以下A)に、しょっぱなから机を離されていました。中学に入学したその瞬間からもう始まってたんです。それから約1年間、Aからの嫌がらせに苦しめられるのです。逆に、入学式の日、隣の席がAじゃなかったら、嫌がらせを受けることも不登校になることもなかったのか…と思うと、運命って、神様って残酷ですね。

 そしてなんと、奇しくもAと同じ委員会になってしまいました。あいさつ運動という、決められた曜日に朝生徒玄関前であいさつをする活動があったのですが、Aは来るわけはなく。私といるのが嫌なのがあからさまだったので、そりゃ来ないでしょう。報告書も、すべて私が書いて。理不尽だとは思っていましたが、嫌がらせが悪化するよりは断然マシなので当たり前のようにやっていました。

 受けた嫌がらせというと、委員会活動をサボり丸投げされるなんて軽いもん。前述したように机を離されることはもちろん、近くにいると避けられ、キモいと言われ。テストのときは出席番号順に座ることになっていたのですが、Aが私の席に座ることになったときはわざわざ別の人のイスと取り替えていたし、廊下ですれ違うことになったらAはなるべく私と離れたいから壁を伝うようにすれ違うか、近くに教室があればそこに逃避して私が通り過ぎるのを待つか。あからさますぎて今でも思い返すと傷が抉り返されます。そんなダメージを受けたくないので、私はAが見えると自分からトイレに逃げるか、遠ざかるようにしていました。ある日の給食時間には、私と同じ班のAと仲が良い男子がAに向かって「こっちおいでよ!」って誘ったものの、私がその班にいるから「嫌だ」と声を大にして言ってたこともありました。

 教室内でも、休憩時間がマジで地獄。いつ近くに来るか怖い。恐怖。向こうは私のことを意識しながら生活しているわけじゃないので、ふと近くに私がいることに気付いて「うわ!きも!」って言われることが何度かありました。そのたびに、周りにいる人にキモいって言われてることが知れ渡るんじゃないかと怖くて、最終的にはクラス全体からキモいと言われ避けられるんじゃないか…って怯えてばかり。授業中が一番気が休まる時間でした。授業中は先生の話を聞いて問題を解くだけで良くて、周りのことなんか気にしなくていいからすっごく楽で。ずっと授業だったらな〜休憩なんてなければいいのに〜なんて思ってました。

 Aは、めちゃくちゃ授業態度悪くて、成績も悪くて、でもクラスではリーダー格で、イベントのときは仕切るし、おもしろいことを言うと周りの人もつられて笑うし、行事のときはクラスを盛り上げる。そんな人に避けられてて、キモいって言われてて、よく周りに広まらなかったな。


「学校がすべて」「学校が家以外の唯一の居場所」であるこの時期、その学校で否定されるようなことを言われ、されるものなら、そりゃ自分はいる価値がない、存在意義わからない、自分はそういう人間なんだ。ってなっちゃいますよね。「キモい」ってなんて便利で汎用性のある言葉なんだろう。もはや感心します。どんな馬鹿でも、気に入らないとかなんとなく嫌という感情を抱いたらとりあえず「キモい」って言っとけば、相手の嫌がる顔を見られる。ストレス発散になる。快感を覚える。また言う。これの繰り返し。それ、言われてる側はたった1回でも、声の大小関係なく本人に聞こえてしまえば相当な傷を負うんですよ。「ああ、自分はキモい人間なんだ。避けられる人間なんだ。」って思っちゃって、そのまま生きていくんですよ。これがいわゆる「後遺症」ってやつですね、、

 そんな中でもなんとか毎日学校に通い続けてました。よく通えてたな自分。支えになっていたのは、その年にあった北京五輪で活躍した選手たちがテレビに出ているのを見ることと、音楽。オリンピック選手は普段は真剣にプレーしているのに、そこでは見せない素の姿をバラエティでは見ることができて、そのギャップにやられていました。なんと斬新な趣味。音楽は基本的になんでも好きでしたが、当時ヘキ●ゴンというクイズ番組から生まれたおバカユニットがけっこう好きで、毎日のように聴いていました。親には学校での出来事はほとんど話していませんでした。男子に避けられてるなんてことは言えるわけない。でも「学校嫌だなぁ」とかボソッと呟くくらいはしていたと思います。

不登校になった日

 そして2月、不登校のきっかけになる出来事が起こりました。普段いっしょに帰っていて、友人だと思っていた別クラスの女子(以下B)の態度が、その日いきなり変わりました。私とすれ違っても目を合わせようとせず、話しかけても無視し、鋭い眼光で睨みつけてきたのです。私は戸惑い、その日はずっとそのことで頭がいっぱいでした。「何か気に入らないことしたっけな…」「もしかして避けられてることが知られたのかな…」いろいろ考えてたら放課後になり、ならもう1人で帰ろうと思っていたのですが、なんとなんと、Bが「いっしょに帰ろう〜!」と向こうから声をかけてきたのです。「は?あの昼休みの態度はなんだったの?」と思いつつ、あのときは単に機嫌が悪かっただけかな?と微々たる安心感(?)も抱きながら、もう2人の同じクラスの女子と4人で帰ることになりました。

 するとまあ。私を除く3人で、スタスタと早歩きで帰り始めたのではありませんか。私のことなんか見えていないかのように。Bに対しての怒りというか呆れの感情はもちろんありましたが、同じクラスの2人は小学校からいっしょだし、クラスでは普通に話していたし、なんならいわゆる「いつめん」だったので、この態度はマジでショックでした。この3人はグルで、計画していたのかな。私は裏切られた。もうこんな人たちと生活したくない。平常心で生活できるわけない。学校行きたくない。

 これが不登校の始まりです。毎日変わらず続いていた嫌がらせに重なったBの件が決定的なトリガーとなり、張り詰めていた糸が切れました。帰ったらすぐさま布団にばたんきゅー。母が帰ってくるまでずっと布団の中で涙を流しながらぼーっとしていました。母が帰ってくると、私の異変に気付いて声をかけてくれたので、正直に「学校行きたくない」とカミングアウトしました。そのときのことはほとんど覚えていませんが、母に「1回休むと次行きにくくなるよ」と言われたことは覚えています。「そんなこと気にせんわ、今はとにかくあの場から逃げたい、もうあんなところに行きたくない、会いたくない」という思いしかありませんでした。

 てか。なんで中学時代って誰かと登下校しないといけないみたいな風潮なんですかね??ぼっちでいるのはおかしいから誰かといっしょにいましょう。っていう暗黙の了解みたいなのあるよね。ぼっちを避けたいがために、誰でもいいから1人でいる人を見つけて誘い、自分の感情や都合で突き放す。そんなに1人でいることが変?なにが変なのか教えてほしかったな。

以上が、私が不登校になった経緯です。今日はここまで。

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