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憂鬱な気分を脱するということ

雨の日はいつも憂鬱になる。
特に大雨の前は特に顕著で、まさに今日はそういう日だ。

こんな日はなんだか憂鬱な気分を振り払いたくて、色々もがくことになるわけだ。

日頃、瞑想をすることが多いわけだが、瞑想をすることは言わずもがな、色々体動かしたり、普段より気分の上がることをいつもより多くする。

コーヒーをがぶ飲みしたりということもその一つ。

そうやっていたら、大抵は一時的に気分は晴れやかになっていくのだが、通奏低音のように横たわる憂鬱な気分は消えない。

そのうち、何度も耳にしたようなフレーズである「嫌な気分を否定せず、受け入れなければいけない」というのが頭にもたげ始める。
そうそう、嫌な気分を脱するために色々することが、余計嫌な気分にさせていくんだなと思い始める。

ここでいつもの疑問が浮上する。
いい気分になることを放棄したらいい気分になれるだろう。
けど、そのいい気分になろうと言う努力をしなければしないで、落ち込んでいくばかりじゃないか、と。

私はいつもこの対極の考えを行ったり来たりするのである。
そうしてゆくゆくは、要はバランスなのかなといういつもの結論に達するのだが、かといって、それで物事を悟るわけでもなく、いつも同じもがきを繰り返すのだった。  

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