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「時間があっても気力がない」の罠

ここ一年ほど、とある試験に向けて勉強をしている。なかなか大変な試験だ。とにかくこなすべき量が多く、手を焼いている。

そんな中でも、毎日一日中勉強しているわけにはいかない。学生ではないので、ある程度はお金を稼ぐ必要がある。そこで以前からやっている自営業をほそぼそ続けつつ、今年の2月からは週3で一日4時間程度のバイトを始めた。時給労働に比重をおいた方が試験勉強との両立が図りやすいと思ったのだ。

当初、このバイトはさして勉強には影響しないと思っていた。一日4時間ならそうたいしたことはなく、他の時間で7時間ほどは勉強できる。そういう計算だった。

実際、できていた時期もある。朝は9時から自習室に行って昼くらいまで4時間勉強。そのあとバイトに行って6時まで働き、夜は夕食と風呂を挟みながら3時間勉強。寝る前にはいくらか息抜きにYouTubeを見る。そんな生活ができていたこともある。

しかし、しばらく経ってみると、これが続かないのだ。

時間は、たしかにある。計算上、勉強の時間は取れるはずだ。なのに、気づくと起床時間が遅くなったり、夕方にアニメを見たりしている。仕事を入れていない日でも、終日みっちり勉強はできず、5,6時間しかできなかったりする。

なぜ、時間があるのに勉強ができないのか? 結論を言えば、気力が続かないのだ。

自営業とバイトと勉強。この3者の時間のバランスは措くとして、活動を同時並行でやっていると、どうしてもそれぞれに割く気力が分散される。普段の思考や感情も分散する。これは、どうしても避けられない。

いわば、一つのパソコンで3つのアプリを同時に開き、メモリが圧迫されているような状態である。一つに集中すれば高いパフォーマンスが発揮できるが、3つ同時に起動しているせいで動きがカクカクしてくるような感覚だ。

気力は無限に湧いてくるものではない。振り絞っても限界がある。あまり振り絞れば健康を害する。気力とは、目に見えない有限な資源だったのだ。この意識が、私には足りなかった。

時間がないからできない、ということもあるが、時間はあるのにできないということもある。そういうときは、気力の充実・配分・補填がうまく行っていないのかもしれない。日々の活動を振り返るとき、この「有限な資源としての気力」という見方で自身の生活を振り返ってみるといいかもしれない。私も今後はそうするつもりだ。

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