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君主はいかに統治するかー「マキアヴェッリと『君主論』」(佐々木毅)

構成
・マキアヴェッリの生きた時代のイタリア情勢とフィレンツェ小史
・「君主論」全文と章毎のコメント

どんな時代か?
・小国(ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェ共和国、シエナ共和国、ナポリ王国)が乱立し教皇領、フランス王、神聖ローマ帝国皇帝という外部勢力が入り乱れて合従連衡を繰り返した(勢力均衡政策が基本)
・フィレンツェでは寡頭制、メディチ家の支配、民衆政、メディチ家、反メディチ派と支配層が転々とする

「君主論」の位置付け
・政府職を得ようと自身をアピールするために書かれた
・君主教育論のジャンルに属しながら、君主に有徳であることを求めない伝統破りの内容
・政治と道徳の分離を主張
・フィレンツェの政治体制、君主の無思考を批判

前提となる人間観
・人間は恩知らずで気が変わり易く、偽善的で自らを偽り、臆病で貪欲である。君主が彼らに恩恵を施している限り彼らは君主のものであり、生命、財産、血、子供を君主に対して提供する
・裏切る必要にかられれば当然に裏切る
・愛する人間を切り捨てることに躊躇しないが、恐怖によって結ばれた君主を裏切ることはし難い
・小さな痛みは復讐心を惹起するが大きな傷みには復讐心は沸かない
・恩恵は小さく継続的に、恐怖は大きく一度に与えなければ効果がない
・人間は財産の喪失よりも父親の死のほうを速く忘れる
・本人の実力と運命によって明暗が分かれる

感想
・職を得ようと君主に捧げた一冊なので君主制を前提にしているが、共和制の指導者が占領地の統治をする上でも十分に有用と本人は考えただろう。イタリア諸国を併呑し統一を成すことと教皇、フランス王、神聖ローマ帝国皇帝といった外部勢力の駆逐を成し遂げられれば体制にはそれほど拘らなかったのかもしれない。最終的には真の共和国への移行を希望したかもしれないが。
・君主であっても自由気ままに振る舞うことは許されず、可能な限り徳を備えた人物だという評判を獲得しなければならない。しかし、必要ならば容赦のなく権力を振るわなければならない。強権を行使する際にも、貴族や民衆にどう捉えれるかを考慮する。彼らの支持なしには安定した統治は行えず、反乱や外部勢力に対する手引きの心配に苛まれる。制度的には無制限の権力であっても、事実上の制限がかかる。

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