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みんなの想いで未来を創る。

はじめまして!shimicoと申します!初投稿です。
私は主に大学生活であった出来事を投稿していこうかなと思っています!

さて私の大学では7/31(土)と8/1(日)に学園祭を行いました。今年は来校型とオンライン型で実施することができました。

そのなかで私は実行委員の幹部として2月から活動を始め、約半年をかけてやっとの思いで開催することができました。
需要があるかわかりませんが、最後まで見ていただけると幸いです。笑

やってもうた

きっかけはほとんどの方と同じ、コロナ禍によるもの。

大学1年生の頃、学園祭はもちろん入学式でさえ中止になり、夏に学内のつながりを持つために委員会に所属したものの、その時は特にやることはありませんでした。しかし色んな人に出会い、色んな所で活躍している姿を近くで見てきました。今まで感じたことのない刺激を受け続け、「私も何かを成し遂げてみたい!」と思うようになりました。

そのように思っていたとき学園祭の実行委員の幹部の募集をしていました。これはよきタイミングであり、やるからには楽しいほうがいいでしょ!と思い、学園祭のトップである幹部への応募を決心しました。

投票制だったのですが、結果は当選。
選ばれたときはなぜか「やってもうた」と思いました笑
まさか選ばれるとは思いませんでしたから、、

「楽しい」のはき違え

先ほど「やるからには楽しいほうがいいでしょ!」と思って応募を決心したと言いましたが、説明会のとき担当の職員の方が「幹部が1番楽しいよ!」と仰っており、その言葉が最終的な行動に移してくれました。

しかし先生にとって「楽しい」とは、みんなで楽しくワイワイの楽しいではなく、学園祭の業務の中で、段階を踏みながら何かを創り上げたり、企画などを想像することの楽しさのことでした。

私はみんなでワイワイやろうとしていたので先生に騙されたと感じました笑
しかし業務をしていくなかではき違えをしたことで、たくさんの人や価値観、視点と出会い、新しいことを見つけるたびに楽しくなっていました。

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実際にオンライン型で使用したステージ

経験者と初心者の埋まらない差

幹部は4年生と3年生の先輩と私の3人で務めることになりました。
幹部として活動を始めて、毎週の幹部会、部長会、実行委員会の集まりがありました。そのころから私の自由の時間は一気に減りました。自由の時間がないのは非常にしんどかったです。

それらの集まりには先輩がほとんどで、特に部長会には同級生が1人しかいない状態で、その子は別の学部だったこともあり始めは気まずかったことを覚えています。

3年生以上の先輩方は1回以上学園祭に参加しており、ある程度の流れは分かっている様子でした。経験や状況把握能力、臨機応変力などどの場面においても差を感じる始末でした。仕方ないと思っていたのですが、頑張っても埋まらない差に悔しさを感じていました。

また経験は信頼に繋がるものがあるなと感じました。
担当幹部として3つの部署を担当することになりましが、始めは全然頼られず悔し涙を流しました。
だから自分が学園祭についてたくさんのことを知り、吸収したり、LINEグループを作りコミュニケーションを取ることなどのアクションを行い信頼関係を築くようになりました。頼ったり頼られたり、私としてはとても良い環境を提供することができたのではないかと思いました。

OCゆいあい

大学のオープンキャンパスにて学園祭の宣伝中。。

友達と『オカン』の存在

文章を見て分かると思うのですが、ものすごく辛かったんですホントに、、そんなとき、心の支えとなったのが大学の友人たちの存在でした。

私の大学はクラス制で同じ授業を受ける機会が多い大学で、友人たちは2年生の春学期に仲良くなりました。
その子たちといるときだけは学園祭の辛さなど負の感情が忘れられ、いつまでもこの時間が続けばいいなと思っていました。

ですがその子たちも私と同じように学園祭に苦しめられていました。
学園祭は1,2年生は全員参加となっており、友人もほとんどがリーダーなどで学園祭の運営で密接に関わっていました。
人間関係や学園祭の重労働、思うようにいかない毎日、、幹部が言っては何ですがきっと準備期間は地獄だったと思います。

そんななかで私のことを応援してくれたり、支えてくれたり、励ましてくれたり、、なかには部長会や幹部会に行きたくない私のことを集合場所まで送り、会議が終わるまで待っててくれたオカン的存在の人もいました。笑
いつも私の体調やメンタル面を気にしてくれていたのですが、ある日その子が体調を崩してしまう事態に、、
看病しながら家まで送る始末でしたがこれもまたいい思い出です。

このように学園祭準備中、私を支えてくれる人がたくさんいました。
私は徐々にこの友人たちのためにも必ず学園祭を成功させたい!とより強く思え、責任感を増して取り組むようになりました。
そして学園祭本番では友人がリーダーを務めていたチームが最優秀企画賞を獲得。コロナ禍ではあるものの、抱き合って泣きました。

友人らに出会い、支えてもらわなければ多分私は幹部を辞めていました。
感謝してもしきれないのですが、ゆっくりと恩返しできればなと思っています。

偶然が重なった先にあるもの

しつこいですが本当に辛かったんです。笑
ですが幹部があの3人だったから、先生や実行委員、私の周りにいたのがこのメンバーだったから、私はこんなに辛かったことも乗り越えることができたのではないかと思います。『出会い』という偶然が重なりあった結果なのではないかと思います。

幹部の先輩方は私と学年も所属している学部も違います。
大学生活において一生関わることがないだろう人たちと関わったもんです笑
そんな先輩方はとてもカッコいい存在でした。しかしいざ学園祭の業務から離れるとゲラゲラ笑うわ、口にものを入れながら話すわ、恋愛話に花を咲かせるわでとてもかわいい先輩方です笑
そんな先輩方ですが大変な業務を平然とこなし、大勢の前に立っても堂々としている姿がいつもカッコよくて、その姿に憧れとこのような姿を見せられない悔しさをいつも感じていました。

そして学園祭の幹部をやらなければ見えなかった景色をたくさん見ることができたと思います。特に友人関係には本当に支えられました。いいところも悪いところも見えたおかげで、私の新たなコミュニティも形成することもできました。その新たなコミュニティこそ今回の私の学園祭の活動に大きく響いたと思います。本当に感謝しかありません。

私に何かを本気で向き合うことの楽しさや悔しさ、喜びと悲しみ、大変さ、辛さ、責任感、、たくさんのことを教えてくれた先輩方や先生、環境には本当に感謝しています。もう二度とこのメンバーでは学園祭を運営・企画をすることはできなくても、次の学園祭に繋げ、より良いものになるよう継承できればと今は思っています。

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shimico

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