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“成功“にとらわれるな“成長”にとらわれろ

ここ一ヶ月近く、厳密にはここ1週間、私は新天地で困難にぶつかっていた。

SQL、R言語、JavaなどのプログラミングやTablau、DOMO、決定木分析などを用いたデータ分析。他にも機械学習、深層学習、ランダムフォレスト、勾配ブースィングetc、、、

IT企業に入社した私はビジネス総合職のはずなのに、まるでエンジニアのような研修を受けていた。

正直何をやっているか全然わからなかった。数学苦手なのに関数とか偏差とかめっちゃ使うし、資料英語やし、オンラインだからわからないところをすぐに質問できないし、「こんなんできひんやん普通」状態で完全に行き詰まっていた。


周りには「大学で統計学を専門に学んでいました」「機械学習について研究していました」という強者だらけで、そんな彼らと行き詰まっている自分を比べるとなおさら悲観的になってしまう。

それでも、諦めて投げ出そうとはならなかった。なんとか食らいついていこうとした。

なぜか。それは、「上手くいっている部分と上手くいっていない部分」を客観視することができたからだと思う。

つまり、自分が困にぶつかり上手くいかない現実にただ悲観的になるのではなく、上手くいっている部分にもしっかり目を向けることができたのだ。


サッカーをしていたときは、試合に勝っても「日本一になるためにはもっと内容のところを突き詰める必要がある」という風に現状に満足せず反省し改善していくことが当たり前だったため、上手くいっていることよりも上手くいかなかったことに目を向けることが習慣になっていたと感じる。少なくとも私がプレーヤーの頃は試合に勝ってもプレーの悪かったところばかりをノートに書いて改善しようとしていた。

もちろん、結果に満足せず常に改善し続けることは大切なのだが、時には上手くいっていることにも目を向けないと失敗のイメージばかり強くなってしまう。それが本番の緊張やミスにつながってしまうという失敗は何度もあった。

選手時代に私はこのことに気付けなかった。

しかし私は選手からスタッフになり、客観的な観点からチームを分析する立場になったことで、「課題→細分化→解決」「成功体験→仕組み化→再現」という2つの観点から物事を見ることを学んだ。

だからこそ、自分が困難ぶつかった時に上手くいっている部分にもしっかり目を向けることができたのだ。

「上手くいかない部分は多いが、上手くいっている部分もこんなにある。確実に成長している。」

「全部理解しないといけない。→全部理解はできなくても大枠と本質は理解しよう」

そう思えると、行き詰まって見えなかった視界の先が開いていくのを感じた。


いつから「上手くいかない」ことを恐れるようになってしまったんだろう。小さい頃はできない、上手くいかないことが当たり前だったのに、いつしか周りと比べて劣等感を感じることがくなっていた。

自分は凡人、何やっても上手くいかない。これまでの人生で自分は何も成し遂げたことがない、そう思っていた時期もあった。

しかし、凡人だからどうせ上手くいかないという言い訳に逃げるのではなく、凡人なりに何ができるか、どうすればできるようになるのかを追求していかなければいつまでも何も成し遂げられない。

悲観的になりすぎず冷静に過去を振り返れば、失敗体験と同じくらいの成功体験をしてきたことがあるはずだ。それを自信にすればいい。

困難にぶつかったときは完璧主義を捨て、質や点数といった結果、成功にとらわれるのではなく“成長”にとらわれろ

本田圭佑が言ってるように、成功ではなく成長にとらわれることこそ困難を乗り越える鍵ではないかと思う。




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