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妻と僕は、たわいもない。

妻とはよくたわいもない会話をする。

先日のことだ。

「保護者会の役員になったらしい」と妻が切り出した。

そういった重役はおそらく挙手制とかで決まるはずだろうと思った僕は「らしい、なんてことある?」と返してみた。

すると、「役員できるか聞かれて、あいまいな回答したら役員になった。しかも夫婦で」という特大カウンターをくらった。僕も役員になっていたのだ。

そのあとも「ああいうPTAとかってさ、子どものころは大人たちがなんかやってるな〜、くらいに思ってけど、いざやるとなると話変わるよね」

みたいな会話を延々としていた。


僕はこういった妻とのたわいもない会話がとても好きで、なにも生まない、でも楽しくておだやかな時間になんだか救われていたりする。

SNSをみると、やれビジネスがどうとか、ライフハックがどうとか、そういった役に立つ「有益」とされる情報がわんさか目に飛び込んでくる。

それらに助けられることも多いし、思わず保存しちゃうんだけど、情報のシャワーを浴びすぎて疲れちゃったりもする。


現実世界でも、仕事のときはまじめな話が多いし(あたりまえ)、はじめましてのひとと、どうでもいい話をできるはずもない。

だからこそ、こういった、生産性とはかけ離れた会話ができる相手がいることは、このうえなく幸せなことだと思うのだ。

中身のない話をしても聞いてくれる。乗っかってくれる。笑ってくれる。笑っちゃう。その安心感たるや、ありがたいにもほどがある。

むしろ、自己啓発本よりも妻との会話に救われていることのほうが多いまである。


仕事とかでオンモードでいるときって、相手にとって意味のある時間にしてあげたいなとか、出会えてよかったって思ってほしいなとか、そんなことを考えて、どうしても「中身のある話をしないと」って思っちゃう。

そういうときって、脳みそフル回転させて話すから、楽しいんだけど、終わったあとにどっと疲れたりするのよね。

でも、妻といるときは「中身のない話をしても聞いてくれる、または軽く流してくれる」という安心感があるので、脳みそをまったく使わない、どうでもいい話をペラペラと口に出すことができる。

すべてのスイッチをオフにできる。

有益な話をできる人もすごいけど、こういった、たわいもないことを永遠に話せるひとが身近にいることはたぶん人生長い目でみて、とんでもなく嬉しいことなんだと思う。


その数日後に、妻から電話がかかってきた。

「保護者会にいってきたよ」

「仕事でいけなくてごめんね。どうだった?」

「ベテランみたいなひとがいて、そのひとが頼もしかった。あとQUOカードもらった」

「ベテランたすかるねぇ。いまどこにいるの?」

「本屋さん」

「QUOカード使おうとしてるやん」

こんなたわいもない日々が、長くつづきますように。


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表紙とアナザーカットたち↓

⌇ 絵 えりちゃん(妻)
✎  文 しみさん(夫)

夫婦で絵本をつくるのが夢です。

日記のようなエッセイを書いています。
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