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尊敬する【レジェンド】元プロ野球選手紹介10選②

今回取り上げる選手は華々しい経歴でありつつも、かなりの苦労した部分もあり
エース級の投手だったにも関わらず、ファンの印象からするとどこか頼りきれない…そんな不思議な元投手を取り上げます。

一応伝えておきますと、スポーツ選手のことを軒並み好きで尊敬している僕ですが、青春期を野球に捧げてきた人間として野球選手に絞って選手紹介と個人的見解・エピソードを綴る回
今回はレジェンド編です。
※選手紹介と成績はWikipedia参照
※経歴・成績はプロのみ
※敬称略

▼斎藤隆

2022年から横浜DeNAベイスターズで1軍チーフ投手コーチに就任


僕自身の復習の意味合いも兼ねて、まずは斎藤隆の各年代であった主な出来事を並べていきます。

▼経歴


1991年 大卒ドラフト1位で入団
1992年 プロ初登板するものの怪我の影響もあり未勝利
1993年 規定投球回クリアして8勝を挙げる
1994年 オールスター初選出 シーズン9勝(チームトップ)
1995年 開幕ローテーション入りからシーズン終了まで休まず完走するが8勝
1996年 最多奪三振タイトル獲得!シーズン11完投、プロ入り初の二桁勝利!一方で被本塁打31本と不名誉な記録も残す
1997年 怪我の影響で一軍登板なし
1998年 13勝5敗1セーブ チームのリーグ優勝、日本一に貢献
1999年14勝3敗 勝率.824 被本塁打32本を記録
2000年 6勝10敗 防御率5.52
2001年 ストッパー転向 7勝1敗27セーブ 防御率1.67
2003年 先発再転向もこのシーズンから3年間成績不振に陥る
2005年オフ 36歳でメジャーリーグ挑戦

さて
ここまで経歴をサラッと綴ってきましたが、いかがでしょう?
大きな期待をされドラフト1位で入団後、2年目から台頭して5年目にはタイトル獲得と順調にステップアップしてチームのエース級の投手といっても過言でない成績です。
しかし大事なところでホームランを打たれてしまう…いわゆる『一発病』と言われる投手の印象が強い投手で、ファンからすると「斎藤隆はエース級なんだけど…うーん。。」という声が出ていました。

絶対的なエースは大事なところで抑え、チームに勝利をもたらすモノ

いろんな監督・コーチ、解説者など野球に精通されてる方々の共通認識ともいえるエース論。
それになぞらえると斎藤隆はすべてが該当するわけではない…と見てしまう人がいたのも事実。
やはり何とも不思議な感じの選手です。
2003年以降は成績が奮わず、ファンからも(年齢的に)引退か?と言われ続けてました。
そして36歳(37歳になるシーズン)でメジャー挑戦することに『記念受験みたいなモノ』と思い、ある意味暖かく見送ったのは印象的でした。

僕個人はというと、正直僕も『記念受験』と思っていました。
活躍を期待しつつも、やはり年齢的に厳しいだろうと。
なのでまさかメジャーで7年もプレーするとはこのときは夢にも思いませんでした(ホントすんません💦)

しかしですね!
37歳の投手がメジャーに行ったら日本時代より球速を上げて、メジャーの強打者たちをバッタバッタと倒していくんですよ!爽快でした!
でもメジャーの年齢考慮と契約は日本よりかなりシビアのため、ドジャースとの契約終了後は毎年チームが変わるという不遇な面もありつつも行く先々で良い成績をおさめ続け、日本球界復帰も含めると23年もの現役生活を送ったとんでもないレジェンドです!!

長くなってしまったので最後に一言
これまで述べた素晴らしい記録など以上に個人的に惹かれてしまうことを斎藤隆は行いました。
それはパドレスへのインターンからのフロント入りです。
これには心奮えました!を締め言葉として今回は終わりたいと思います。今後のご活躍にも期待します。


 
注連内博之

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