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締め切り#019 10年メモを10年使ってみた/ 檀上 遼


10年メモをご存知だろうか。

10年メモとはデザイナーの戸塚泰雄さんが、2012年から発行しているメモ帳のことである。
メモ帳とはいっても実際にはかなりの分厚さがあり、ちょっとした辞書くらいの存在感がある。独立系書店などを中心に販売されているから、このnoteをわざわざ読みに来てくれるような人だったら、どこかで一度くらいは目にしたことがあるかもしれない。
10年メモとはいっても、基本的には「メモ」だから使い途は人によってそれぞれだ。例えばそれは、その日食べた物のメモであったり、子供の成長記録であったり、あるいは読書日記であったりする。

わたしの場合、その10年メモを日記として10年間使用してきた。

わたしはもともと戸塚さんのファンで、かつて氏が発行していた『nu』というミニコミの愛読者だった。だから10年前にとつぜん戸塚さんが「10年メモ」なる分厚いメモ帳を刊行すると知って、いち早く購入した。
そういうわけで、わたしの10年メモの表紙には、今ではもうほとんどかすれて読めなくなってしまったけれど「2012-2022」と刻印されている。

わたし自身は10年メモを使い始める前から日記自体は書いていた。
けれども、それ以前の日記は、そこらへんにあった適当なノートに書いたり、最近では全然見かけなくなったpomeraで書いたりなんかしていたから、今では当時の日記はすっかり散逸してしまって、どこにあるのかもよくわからない。
その点、この10年メモの場合、いちど購入すれば少なくとも10年間はどういったメディアで日記を書くのかを迷う必要がなかったし、物体としてもかなりの存在感があるので紛失する心配もない。
この10年間、10年メモは常にわたしのかたわらにあり、であるからこそ10年間もの間、日記を書き続けることができたのだと思う。

だがしかし、そろそろこのあたりで白状しようと思うが、実はわたしは9年目にして10年メモで日記を書くことやめてしまった。

それはなぜかというと、身もふたもないことを承知で書くが、去年からパソコンで日記を書くようになってしまったからである。
どうしてそうなったのかはここではもう割愛するけれど、わたしは10年メモを、最後の1年を残して、9年目にして卒業してしまったのだった。

ところで話は変わるが、今あなたが読んでいるこの『千の締め切り』というnoteはわたしが提案してはじまったものである。
もともとわれわれは『締め切りの練習』のメンバーで月に一回オンラインで読書会をやっているのだが、あるとき会の終わりにわたしがとつぜん提案をしたのだ。

「おいみんな、ウェブ版の『締め切りの練習』をやってみないか?」と。

季刊である『締め切りの練習』だけでは明らかに練習が足りていないのではないのか? われわれにはもっともっと締め切りが必要なんじゃないのか?
常々わたしはそう思っていたのだ。

そのとき、それを聞いたみんなが内心どう思ったのかは正直わからない。

ただ、間違いなく言えるのは、今のところダントツで毎回締め切りを破っているのがこのわたしだということである。
だいたい週に1回くらいの更新を目指そう、という暗黙の了解があるのだが、すでにこの記事だって一週間近く締め切りを過ぎている。

……これは一体どういうことだろうか?

締め切りを破るというのは、精神的に非常に辛いことである。
仮にこれが仕事として依頼された原稿であったのなら、ある意味話は単純だ。
なぜなら最悪原稿を落としたとしても、単にそれは書き手としての信頼を編集者から失い、執筆の依頼が二度と来なくなるだけだからである。

しかしこれが友人との約束となると話はまた違ってくる。
もちろん気の知れた友人たちだから、締め切りを破ったとしても本気で怒ったりなんかはしていないはずだ。
せいぜい「あいつまた遅れてるな……」きっとその程度だろう。
しかし、友人との約束を破るというのは、たとえそれがどの程度のレベルであったとしても、やはり気持ちが悪いものである。

では、はたしてどうすれば締め切りを守ることができるのか?

わたしはこの『千の締め切り』において『関西人が阿寒で考えたこと』という旅行記の連載をこれまで3回にわたって書いてきた。
この旅行記にはまだ続きがあるし、撮りためた写真なども結構あるにはあるのだが、はっきり言ってもう阿寒のことを書くことに完全に飽きている。
もうあかんやりたくない、というのが正直なところなのである。

そこでわたしは一計を案じることにした。
実はわたしは自分の書いた日記をほとんど見返さない。
だから今後は書くことがないときは、これまで10年メモで書いてきた9年分の日記を振り返ってみることにしようと思う。

それこそが最後の最後の1年で書くことをやめてしまった10年メモに対しての、わたしなりのせめてもの落とし前のつけかたなのではないか。
そう考えたのである。

そういうわけで前置きが異常に長くなったが、ここから過去9年分の日記を振り返ってみようと思う。
以下の日記の引用はわたしの10年メモのとある1Pを再現したものである。
なぜ6月19日を選んだのかというと、とくに理由はない。
この回を書こうと思いたったのが2022年6月19日だったからだ。


2012.6.19
生活が完全にダメな感じ……情けないが親知らずが痛くてなにごとも集中できない。夜から台風。暴風雨の中、氷水を入れた水筒とカッパを羽織ってMを駅まで迎えに。台風はやっぱり楽しい。ピザ、天ぷら、いなり寿司をライフで購入。実家っぽくてなんか良かった。

2013.6.19
下課→メシ→図書館。ガツッと昼寝キメつつも、まぁまぁ勉強。両親への感謝からか、この数日はだいぶ安定している。あとiphoneもだいぶ制限している。このまま頭痛も消えてほしい。夜にすこし禅もしてから寝たら調子良かった。

2014.6.19
昨日4時間くらいしか寝てなかったからか昼過ぎまで寝てしまいご飯食ったりしてたら気づいたらもう夕方。。。規則正しい生活をしないと。時間を大切に。自分を大切に。

2015.6.19
この日も朝からバイト。昨夜、久々に✕✕✕したからか死ぬ程ダルい。伊地知くんにも会うなり『疲れてるなぁ』と言われておどろく。夜はデカンとあぐろの湯。スッキリ。一ヶ月学校ないけど写真撮るぞー!

2016.6.19
昼前に帰宅。モンブランで5人分のケーキ買う。夜、家族と大姐で板宿の居酒屋「大」へ。次の日から大姐が大阪の台湾人の友人の家に行くと知らず。皆疲れきってあまり喋らず。

2017.6.19
夕方に池内先生が亡くなったとの連絡アリ。色々起こりすぎ。明日から長野で書くというのに。。ヤバい。

2018.6.19
朝、Yと一緒に出発して自分は帰宅。朝帰りするとグダッとしてしまうので、よくないな。夜、チャナダルカレー作る。満足。その後、勢いでタイ行きのチケットをついに購入。これは大きいな〜。楽しみだ。

2019.6.19
この日は家で昼頃に3人で食事をしてから出発。考えてみれば自分にとっての長野合宿はAIR(アーティスト・イン・レジデンス)である。午後から情報ライブラリーへ。2年前にもいた超絶良い女が今も働いている。この日も執筆は進まず。社会情勢を説明的にならずに織り交ぜて書くことにいつも苦戦してしまう。

2020.6.19
午前中もYとなんか変な雰囲気。中途半端に仲直りして別れる。その後ポーアイ。ケロイド治療。筋肉注射痛い。帰り道、100円パンの店でパン購入。そういえばこないだYが天然酵母パン作ってくれたな。気持ちがジャンク過ぎてパン食べたあとさらにカップラーメン食べてしまう。夜ジムに行ってプールとサウナ。帰ってもなんかビミョーな感じ。

とりあえず一年目から振り返っていくことにする。

2012.6.19
生活が完全にダメな感じ……情けないが親知らずが痛くてなにごとにも集中できない。夜から台風。暴風雨の中、氷水を入れた水筒とカッパを羽織ってMを駅まで迎えに。台風はやっぱり楽しい。ピザ、天ぷら、いなり寿司をライフで購入。実家っぽくてなんか良かった。

翌日の日記を読んで見ると、歯医者に行っていた。どうやら親知らずではなく歯髄炎という結構ハードな虫歯だったらしい。当時、交際していたMを迎えに行くのに、台風の中カッパを持っていったのは理解できるが、なぜ氷水入りの水筒をわざわざ持っていく必要があったのか。今となってはまったく思い出せない。

2013.6.19
下課→メシ→図書館。ガツッと昼寝キメつつも、まぁまぁ勉強。両親への感謝からか、この数日はだいぶ安定している。あとiphoneもだいぶ制限している。このまま頭痛も消えてほしい。夜にすこし禅もしてから寝たら調子良かった。


この一年間、わたしは台湾に語学留学していた。「下課」とは授業が終わることである。では「両親への感謝」とは一体何を指すのか。そう思って前後の日記を読んでみたところ、どうやら金がなさすぎて、親に送金してもらったらしい。あと、わたしはなぜか台湾で禅の道場に通っていた。100人近くの人々が道場に集まり座禅を組んで瞑想をしていた。瞑想の最中に誰かが屁をこいたりしても、一切誰も笑わないくらいガチな禅道場だった。

2014.6.19
昨日4時間くらいしか寝てなかったからか昼過ぎまで寝てしまいご飯食ったりしてたら気づいたらもう夕方。。。規則正しい生活をしないと。時間を大切に。自分を大切に。


前後数日の日記を読んでみたが、今読み返してみてもうんざりするくらい相当自暴自棄になっていたようだ。

2015.6.19
この日も朝からバイト。昨夜、久々に✕✕✕したからか死ぬ程ダルい。伊地知くんにも会うなり『疲れてるなぁ』と言われておどろく。夜はデカンとあぐろの湯。スッキリ。一ヶ月学校ないけど写真撮るぞー!


今この日記を読むまで伊地知くんの存在を忘れていた。短期のバイトで知り合った伊地知くんは他の人とは全然喋らないのになぜか私にはよく話しかけてきてくれた。顔に不釣り合いなくらい巨大な黒縁メガネをかけていた。もちろんこれ以降二度と会っていない。この頃は写真サークルのようなものにたまに顔を出していて、写真に対してまだ情熱があった。デカンは元刑務官の男でわたしの唯一の地元の友人である。

2016.6.19
昼前に帰宅。モンブランで5人分のケーキ買う。
夜、家族と大姐で板宿の居酒屋「大」へ。次の日から大姐が大阪の台湾人の友人の家に行くと知らず。皆疲れきってみなあまり喋らず。


サンフランシスコのチャイナタウンで長年一人暮らししていた母方の祖母が、この一週間ほど前に亡くなり(晩年は日本の我が家で過ごした)、アメリカや香港から親戚たちが続々と来日し、そのアテンドで死ぬほど大変だった。お通夜〜葬式なども終わり、親戚たちがみな帰国するなか、最後まで残っていた大姐(伯母)とうちの家族で慰労もかねて近所の居酒屋に行ったのだが、みな心底疲れ果てていた。

2017.6.19
夕方に池内先生が亡くなったとの連絡アリ。色々起こりすぎ。明日から長野で書く。。ヤバい。


台湾旅行記『声はどこから』の執筆合宿をするため、長野に住む篠原くんの家に向かう前日に、長年お世話になっていた心療内科の先生が急死。本当にショックだった。

2018.6.19
朝、Yと一緒に出発して自分は帰宅。朝帰りするとグダッとしてしまうので、よくないな。夜、チャナダルカレー作る。満足。その後、勢いでタイ行きのチケットをついに購入。これは大きいな〜。楽しみだ。


考えてみればこの頃はまだときどきダル(豆)のカレーを作っていた。最近はまったく作らない。なぜだろう。夜中にタイ行きのチケットを衝動的に購入。コロナになる前は深夜のノリで海外行きのチケットをポチったりできていた。

2019.6.19
この日は篠原家で昼頃に3人で食事をしてから出発。考えてみれば自分にとっての長野合宿はAIR(アーティスト・イン・レジデンス)である。午後から情報ライブラリーへ。2年前にもいた超絶良い女が今も働いている。この日も執筆は進まず。社会情勢を説明的にならずに織り交ぜて書くことにいつも苦戦してしまう。


2017年にも長野の篠原家で執筆合宿を行ったわけだが、この年もふたたび行われた。3人というのは『締め切りの練習』の同人である、篠原くん、池上さん、わたしである。この時期は『馬馬虎虎 vol.2 タイ・ラオス紀行』の執筆をしていた。この頃のわたしは、どこかよその土地に行って執筆することを「一人アーティスト・イン・レジデンス」と呼ぶことにハマっていた。そしてなんならこの言葉を流行らそうとさえ思っていた。だがいつまで経っても一向に執筆は進まなかったし、この言葉がネット上で流行るなどということももちろんなかった。

2020.6.19
午前中もYとなんか変な雰囲気。中途半端に仲直りして別れる。その後ポーアイ。ケロイド治療。筋肉注射痛い。帰り道、100円パンの店でパン購入。そういえばこないだYが天然酵母パン作ってくれたな…。気持ちがジャンク過ぎてパン食べたあとさらにカップラーメン食べてしまう。夜ジムに行ってプールとサウナ。帰ってもなんかビミョーな感じ。


全体的にビミョーだったんだろうな……というのがとにかく伝わってくる悲しい一日。100円パンが売りだった店も、2022年の現在では100円の商品はひとつもなくなってしまった。せめて一日の最後を丁寧に過ごそうと、おそらく無理してでもサウナに行ったであろうに、それすらも空振りに終わってしまった切なさ。人生にはそういう日もある。

・・・おわかりいただけただろうか。

正直、自分でもここまで書いてきて、はたして今回わたしは一体なにを書きたかったのだろうかと思わざるをえない。

だが、とりあえず今日のところはこのあたりにしておこう。
とにかく今後書くことがないときはこのスタイルでいくことにする。


檀上 遼

だんじょう りょう。兵庫県神戸市生まれ。文筆と写真を中心に活動中。著書『馬馬虎虎 vol.1 気づけば台湾』台湾旅行記『声はどこから』『馬馬虎虎 vol.2 タイ・ラオス紀行』など。
https://linktr.ee/ryodanjyo

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