新しいものと古いもの

「新しい」はとにかく人を惹きつける。

魅力的に感じたり、嫌悪感を感じたり、その両方のベクトルに人の感情をかき立てる。

その意味では、古いものも大切にされたり、嫌悪や害悪の対象になったり、まあ、おなじなんだけれども。

とにかく、人々の会話の中に「新しい」や「古い」が出たとたんに、肯定か否定かの二択を迫られている感じがする。


なぜなら、新しいものを受け入れるかどうかは、自己肯定か自己否定に直結すると思えるから、なのかもしれない。


新しいものを受け入れないというキモチは自己防衛から来ることが多い。逆に、新しいものにやっきになるのも、自分自身を変えたいという意味でいまの自分を否定するキモチから始まっていることもある。


純粋に、新しいものを面白いものとして眺めているうちはいいのだけど、そういう感情のバイアスがかかると、いらぬ正義感とか、他社批判に結びつく。新しいものを謳歌して古いものを否定することで世界を否定し、世界にいる自分を否定する。古いものに固執することで、新しく動いている世界を否定し、未来の自分を否定する。


そういう風になるのは、なんとも損だな、と思う。けど、大概、そういう反応をしている自分に気付く。

裸のままの赤ちゃんにとって観るものすべてが新しい。その時は純粋に、直感で楽しい、あるいは恐ろしいを表現する。

大人になったからといって、その脳内挙動がなくなったわけではなるまい。未知のもの、この知らないもの、あるいは知らなかったものに対して、直感で受け止めていくことは、大事なんじゃないかと思う。


だって、世の中は昔以上に毎日新しいものが炸裂している。いちいち吟味する暇が無い。だからこそ、赤ちゃんみたいに、面白いか怖いか、その直感だけで見ていくと、それなりに正しい選択ができるのではないかなと思う。


今日、はじめてTikTokをやってみた。

いや、面白いよ、これ。





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