慈悲と恥辱

先日、サ店でへらへらしていたら、肩を叩かれ振り返ると欧米系の外人が立っていた。おもちゃサイズの日本の国旗を何本か持っており、そのうち一本を自分に手渡した。まったく突然のプレゼントに、何の意味も不明だったが、自分は、サンキューと受け取った。すると外人、紙を見せてきて、そこには「私は聴覚障害者です。外人の障害者が日本で暮らすのは大変です。日本は大好きです。国旗をあげるんで、私のために500円恵んでくれませんか」みたいなことが書かれてあった。自分は咄嗟に、金か…、と呟いた。

自分は1200円持っていた。500円は大金だった。頭の中で計算をする。ここの珈琲は400円、外人に500円恵んでも300円残る。それで納豆とコロッケでも買えば夕飯にはなる。金か…、と呟いた吝嗇な自分が情けなかった。イエス様ならば自分に鞭打ちパンを与えるはずである。慈悲の気持ちを込めて外人に500円を渡そうと思った。オーケー、と言うと、外人はにっこりと微笑んだ。財布を開けると、千円札が一枚と、百円玉が二枚で、しまった、と思った。ちょうど500円を払うことが出来ない。ここは200円で勘弁、と言おうとすると、外人がおもむろに五百円玉を取り出した。ちゃっかり、お釣りを用意していたのである。

500円を払って、国旗を手に入れた。何点か疑問が湧いたのは事実だが、それらを打ち消すように、珈琲を啜り、哀れな外人に良きことをした、と言い聞かせる自分がいた。

サ店には、自分の他に客が二人いた。自分から500円を手に入れた外人は、当然のように他の客にも物乞いをし始めた。しかし、他の客は二人ともきっぱりと、ノー、と断ったのである。あ、断るんや、と一瞬思った。外人は涼しげな顔で、すらすら店を出て行ってしまった。ぺらぺらのナイロン生地で出来た日の丸を手にした自分は、恥辱の醜態を晒しているような、思いがした。さっきから、他の客二人が自分を見て嘲笑っている。あいつ、よう分からん外人に金払ってたで、あんなん詐欺に決まってるやん、あいつ阿呆やで、ほんで払ってからちょっと後悔してるやん、ノーと言えない日本人代表やで、あいつも国旗もぺらぺらやん、という声が聞こえてくるような気がした。

気が付くと自分は手に汗握りながら、おもちゃの国旗を振り振り、ちょうどこれ欲しかってんなぁ、みたいな顔をすることに専念していた。

何もいりません。舞台に来てください。