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壁のような鏡

コロナと同時に大学に入学した頃、私はリモートでのコミュニケーションの不自然さが嫌だった。授業では、オーバーリアクションを取る画面越しの皆を不気味に感じてしまった。暗転したパソコンの画面に映る私の笑顔は、もっと不気味だった。でもテレビでは、当たり前のようにリモート会議のコツが特集されていた。「反応がわかるように大きくリアクションを取ろう」「良いカメラや照明を用意しよう」上半身だけがシャツのような形のパジャマも取り上げられていた。何がリモートだ、自分を取り繕うような商品を本当に良いと思っているのかと、反抗的なことばかり考えていた。しかし、試行錯誤して時に不自然に、慣れないリモートに順応しようとする世間は、私よりも素直に人とのコミュニケーションを求めていた。

コミュニケーションでは壁を壊そうとすることが必要だ。歌が苦手な幹事がカラオケで先陣を切ってくれたり、友人にマニアックな映画について話したらその場でググって関心を示してくれたり。対面でも壁を壊して人と仲良くなってきたはずだった。私が今、薄い液晶を壁のように感じるのも、人と会えないことに腐っている自分のせいではないか。そう考えると、このぎこちなさに参加しなければいけないと思った。

首を振る音が相槌に聞こえるくらいリアクションを取ろう。最初は不気味でも、歯を見せるくらい表情豊かに笑おう。背伸びして司会のように話を回してみよう。皆に注目される中、絶妙な時差がスベったかのような空気を生んで冷や汗もかくだろう。でもそんなときにはきっと、誰かがブンブンと首から音を出して相槌してくれているはずだ。そうしていればいつか、「画面越しに見ていた人だ!」と芸能人に会ったかのように素人同士で喜び合える時が来るかもしれない。

リモート画面上のぎこちなさに、人との関わりを渇望する自分自身の姿を映した私は、リモートのコミュニケーションに順応できるようになった。

(2023年5月 筆)

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