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欲もいいもんだ

欲がなくなってきた。
服を買おうにも「誰に見せるんですか、こんないい服」。
化粧品を買おうにも「いい加減、化粧品ひとつで顔が変わるわけがないことを学びなさい」。
酒を買おうにも「最近全然飲めなくなってますよね?本当に必要ですか?」。

とまあこんな感じでストップをかけるもうひとりの人格の発言権が強くなってきている。

昔は無欲であることに憧れながら、強欲であった。
質素な暮らしを最上としているくせに、かわいくなりたいし、楽しい時間が目いっぱいほしいし、誰彼構わず好かれたい。
そうしていろんなものを手に入れた後、減った残高に、家事をさぼって荒れた部屋に、結局消耗している自分のメンタルに、そしてなお埋まらない欲求に、がっかりしてしまうのだ。
な~んかきたねえなあ、自分。

というわけで、欲の仕分け人、心の中の蓮舫さんが強くなってきたことは、割と喜ばしいことなのだが、このままいくと「二位じゃダメなんですか」どころかただの身なりに気を遣わないオバサンになってしまう。

それはまずい。

思い立って美容院に行くことにした。
美容院は欲を取り戻す場所なのだ。濡れた髪をタオルでくるまれ、輪郭丸出しで鏡の前に座らされる。目の前の自分はとんでもない姿だけど、これが終われば美容師さんに提示されたサロンモデル美女の姿に近づくと錯覚してしまう。その上目の前には「VoCE」やら「美的」やらが置いてあるもんだから、サロンモデル美女へと大変身を遂げた自分にはこんなメイクもありなのでは?とか考えてしまう。それで「ディオールのグロスくらい、(美女になる予定の数時間後の自分に)おっちゃん買うたる!」とか強気になっちゃったりする。

美容師さんとだいたいの方向性を決めたあと、先にカラーをすることになった。
アシスタントの若い男女が二人がかりで私の頭にカラー剤を塗りたくる。陽気であっけらかんとした金髪のお姉ちゃんと、黒いキャップを目深にかぶったお兄ちゃん。美容師さん、ただでさえおしゃれでビビるのに、最近は圧倒的に自分より年下な感じがビシバシ伝わってくるからより戸惑う。
「へ?ぼーっとしたくて本読むんすか??すごいっスね!!」
私も20代前半のころはたぶん同じリアクションをしてました。はい。

流れで話題が「メイクをする男性」に変わった。
SNSでメイクを自由自在に扱ってイケメンにも美女にも変身できる男性がいることを知っていたので、その話を振ると、金髪のお姉ちゃんは「あ~、最近きれいなオカマ多いですよね~、お母さんがなぜかそういう人をSNSで見るのにハマってて、私もよく見てます!綺麗ですよね~」と返してきた。いや、メイクをする男性がオカマというのは決めつけだしそもそもオカマという呼び方は~とかいろいろ思ってしまったが、うるさいオバサンになるのが怖くて言えなかった。でも数年前なら自分もお姉ちゃんみたいな相槌をしていたかもしれないなとも思う。お姉ちゃんが担当していた右半分が塗り終わり、「ではここで失礼します~」と離れていった。

「さっき話してたの、ギュテさんじゃないですか?」
ふたりきりになり、お兄ちゃんが口を開く。
「ああ!そうですそうです。ギュテさんだ。」
「僕も実はメイクするんですよ。韓国アイドルにバチバチにハマってて、あんなふうになりたいなって。」
黒いキャップに黒マスクで一切表情の見えないお兄ちゃんだが、心なしか声色が明るい気がする。
「…でも今日は寝坊しちゃって、すっぴんで来ちゃったんです。午前中は帽子かぶってなかったんですけど、耐えられなくて店長にお願いして帽子かぶってます。」
彼にメイクのきっかけを聞くと、肌荒れを気にしていたら、お母さんがBBクリームを勧めてくれたことが始まりだと言っていた。

メイクする男性=オカマって言っちゃうお姉ちゃんも、たぶん彼がすっぴんを気にして帽子をかぶっていることは何も思ってないだろうし、店長も彼の心情を無視せず帽子を許可してくれる。そしていまどきは息子にためらいもなく化粧を勧めてくれる母親もいるんだな。

きれいになりたくて美容師を志している。コスメを買うことをモチベーションにして頑張っている。周りはそれを見守っている。なんかいいな。やっぱり生きていくには欲が必要なのだ。欲は偉大だ。

目の前の鏡にはサロンモデル美女ではなくいつもより多少きれいにしている自分しか映っていなかったが、VoCEと美的とお兄ちゃんに感化された私はその足でルミネに向かった。久しぶりにアイブロウの色を変えてやろうと思い、フーミーのアイブロウパウダーと筆を手にレジに向かう。

「ちょっと待って。あなた、在宅勤務を言い訳に眉毛はいつもさぼってますよね?それでも買うんですか?」

心の中の蓮舫さん、強かった。結局何も買わずに帰路についた。

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