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また会ったな、涙くん

5~6歳くらいか。

なぜかその当時、カラオケの十八番は「涙くんさよなら」だった。

「ムーンライト伝説」とか「めざせポケモンマスター」とか、そんなのを歌っていてほしい年ごろだが、わたしは誰に影響されたのかカラオケにいくたびに「な~みだくんさよな~ら~♪」と歌っていたのである。我ながら渋すぎる。

大人になってまじまじと歌詞を見てみる。わかる、大人の私にはわかるぞ。

この歌は、「フラグ」だ。

ただ、ダチョウ俱楽部さんの「押すなよ、押すなよ!」とは違う、「泣きたい気持ちになんてなりたくないけど、きっとまた泣いちゃうだろう、それでもいまだけは、涙と決別したということにさせてくれ」という哀愁漂うフラグである。

ちなみにわたしは人前で泣くのが嫌いだ。泣ける映画を見ても、同じ空間に知り合いがいるだけで我慢モードに突入する。泣き顔がきれいな人だってほんの一握りだけど、涙をこらえる様子もなかなか無様ではなかろうか。鼻が真っ赤になって、喉の奥からえぐえぐ音が鳴って、目が血走る。それでも泣くものかと耐える。なんの意味があるのだろう?

逆にいうと、知り合いがいないところではわんわん泣くことも可能。年末に一人で見に行った映画では、開始5分で号泣した。開始5分で泣かせる気は一切なさそうな映画だったから、映画側もさぞ驚いただろう。制作に大変苦労をしたという話をどこかで見聞きしたことがあって、「それを乗り越えて、形に…」と思っただけで爆泣きした。もはや自分で完結してる。

私の母は感動屋で、テレビの再現ドラマでも本気で泣ける人だ。父も歳を取って涙腺が緩くなったのか、夜な夜な一人で酒を飲み、何年も前に死んだ祖父の遺影を眺めては「親父はヘンなやつだったよなあ」と笑い泣きするので、まあまあ涙もろい家系なんだろうと思う。

ただ、母方の祖母だけは、めったに泣かないのである。

祖父が死んだとき、葬式にはありがたいことにたくさんの人が集まり、全員が声を上げて泣いた。それでも祖母だけは泣いていなかった。足を運んでくれた人にせっせと茶を淹れ、挨拶に周り、「こんなに人が来てくれたらあの人も幸せよお」と言いつつ、叔父に支えられてやっと焼香をした。

そして数十年前、自分の息子を20代という若さで亡くした日も、ガンコ江戸じじいの祖父がおいおい泣く横で、祖母は一切涙を見せなかった。

突然友人を亡くした悲しみに崩れる若者たちに飯を用意してやり、立ち上がれないほどの人には背中をさすってやった。出棺のとき、涙で言葉に詰まる祖父の隣で、息子の遺影を抱いて凛と前を向いていた。その目は霧を捉えているように虚ろだったが。

つまり、本当の「涙との決別」とは、深い悲しみの前にしか起こりえないのではないか。

だとしたら、涙くんには「また会ったな」と声をかけるくらい気軽な存在でいてもらった方がいい。

ちなみにわたしが見た唯一の祖母の涙は、やんちゃなひ孫が覚えたての日本語でDA PAMPの「U.S.A」をノイローゼになりそうなほどの大音量で歌い踊る様子を見て、笑いがすぎて目のあたりをぬぐったときである。

みなさんは、最近いつ泣きましたか?

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