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めしあがれ、わたし

親元を離れて生活を始めて10年ほど経った。

実家で甘やかされて育ち、何一つ家事ができなかったわたしも、さすがに人並み程度には料理ができるようになった。たとえば、冷蔵庫にあるものから何品か名前のない家庭料理を用意することができる。野菜の下処理も昔に比べたら早くなったし、いまや1週間分の献立を考える時間も一瞬である。
なんとなく夕飯を作り、テーブルに乗せる時、わたしはふと「23歳のわたしに食べさせてあげたいな」と思う。めしあがれ、わたし。と。

母はよく10代のわたしに「どうせいつか自分でやらなきゃいけない時がくるから、家のことなんてわざわざ今やらなくてもいいよ」と言ってくれた。おかげで青春時代は部活に明け暮れ、家ではぼけっと過ごしていた。起きたら朝ごはんがあり、お昼のお弁当を持たせてもらい、帰ってきたら夕飯がある。まさに上げ膳据え膳である。父はそんなわたしによく「お母さんの手伝いをしなさい」とぼやいていた。父も尻ひとつ動かすことなくビール片手にぼけっとテレビ見てたけど。

そんな実家を出て、ひとり暮らしを始めたのは社会人になったころである。

23歳。はじめての自分だけの住所、鍵、台所。

清潔な部屋をキープし、ちゃんと自炊もして、おしゃれなバリキャリレディになるつもりだったが、元々やっていないものをできるわけがない。そして自分で働いて生活をするということは、本当に想像以上にハードだった。どんどん部屋は汚くなっていき、わたしの細胞はコンビニと牛丼屋と会社近くの安居酒屋由来のものに生まれ変わっていった。

新卒で任された最初の仕事は新規営業で、1日に何十件も営業電話をしては断られ、ときに怒鳴られ、たまにアポイントが取れたと思えば下心のありそうなおっさんに舐められたりすることもあった。仕事であり商材に対してだと頭では理解しつつも、1日に何度も不要と言われると自分が否定されているような気になって悲しかった。そもそもプライベートでも電話するの嫌いなのに。学生時代に一瞬付き合った彼氏にウィルコムを渡されたときですら、げんなりしたほど電話嫌いなのに!

そんなこんなで必死の思いで手に入れた仕事で、自分でも信じられないようなミスをして叱られることもあった。会社の同期に面白話として披露してひと笑いとった後、自分がみじめで情けなくて、西武新宿駅のホームで涙が出た。一回泣くと止まらなくて、周りの人に二度見されながらポロポロと泣いた。

電車内でも他の乗客に若干の距離を取られながら静かに泣き続け、最寄駅で下車する。

住所こそ中野だったが、街灯も少なくひっそりした街である。帰り道に見栄を張って買ったダイアナの7cmヒールがカツカツと響く。カバンの奥底からなんとか鍵を取り出し、ドアを開ける。

真っ暗で、寒くて、散らかってるのに何もない部屋。

声をあげて泣いた。もはやなんで泣いているのかわからない。理想の自分と程遠いこと、色んな人に迷惑をかけてしまったこと、今頃になって親の愛情に気づいたこと。

そんな23歳のわたしを思い出しながら、今日のわたしはごはんをつくる。
ひとしきり泣いた後、ちゃんと次の日も仕事に行ったわたし。えらいじゃん。そこから嬉しいこともやりがいを感じることもたくさんあったね。まあでも、30過ぎても情けなくて泣くことがわりかしあります。まだまだ理想の自分とは程遠くて申し訳ないけど、悪くないよ。

あとね、ちゃんとあたたかいごはんを作れるようになったよ。今日もよく頑張ったよね。

いただきます、わたし。

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