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無邪気な幻想に誘われて/ション・ベイカー『フロリダ・プロジェクト』

あなたは子どものころ
「冒険」に出かけたことはあるだろうか?
わたしはある。小学生のころ、放課後や休日には自転車を走らせ近くの川や公園で遊び、目的もないまま駄菓子屋や文具屋に入ったり、自販機の周りにお金が落ちていないか探したり、道の向こう側へ石を投げてみたり(危険です)。これはひとりではなく近所の幼なじみとやっていたのだけど、田んぼと山に囲まれた「何もない」風景を彩り豊かな「特別な情景」に変えることがあの頃のぼくたちにとってはすごく重要なことで、それを実現することにこそ幸せな人生があった。そしてこの「冒険」って、大人になってから考えるとすごく無意味で非現実的だけど、めちゃくちゃ楽しかったよなと、この映画を観てふと思い出したのです。

本作の舞台はフロリダ・ディズニーワールドのすぐ外側。世界中から“夢の国”を求めて観光客がやってくるこの街には、彼らが宿泊するために建てられたはずの安モーテルがあるのだけれど、実際にはそこに観光客は泊まっておらず、貧困のために月払いの部屋を借りられない、その日暮らしをする者たちが多く住んでいる。本作の主人公はこのモーテルに“住み”、そのように貧困生活を強いられているシングルマザー・ヘイリーとその娘、6歳になる少女・ムーニーだ。ちなみに『フロリダ・プロジェクト』のプロジェクトとは、低所得者のための住宅団地を意味する。

この、「夢の国のすぐ隣では貧困者が現実に苦しめられている」という構図が、本作の核(メッセージ)の部分であり、この世界の真理を突いている部分でもあるのだけど、この映画はそんな社会問題を掲示しながらもあまり暗くはなりすぎない。というよりもめちゃくちゃ鮮やかに色付いていて、暗さよりも暖かさを感じてしまうのだ。そうしてそれは、この映画の大半が、少女ムーニーにスポットライトを当てた「普遍的で自由な“冒険”」の姿を映し出しているからである。

ムーニーは退屈が嫌いだ。いつも友達と一緒にいて、大人にちょっかいをかけたり、まわりを探検したりして遊んでいる。ディズニーワールドには決して行けないけれど、眼に映る世界を魔法的にファンタジックな世界へと変えていくことが彼女の日常であり、またそんな彼女の姿は、特別な状況下に置かれながらも「普通の女の子」であることを感じさせる。そして驚くことに、彼女の姿を観客として後ろから追っていると、自分もかつてあの場所にいたのではないか、と夢想してしまうのだ。いや、夢想なんかではなく、間違いなく自分もあそこにいたひとりだった。

いつから私たちは子供的な世界を捨て去り、現実に埋没していってしまったのだろう。なぜ“夢の国”に行かないと、あの特別な感情を取り戻せなくなってしまったのだろうか。そこには、子どものままでは生きていけないという明確な理由があって、現実から目を逸らし続けるなんてことは不可能であるから私たちは大人になるのだろう、ということは分かるのだけれど、本作を観たあとではその考えがグラついている。なぜ現実に圧迫され続けなくてはいけないのか。

この世界を生きているとときどき「辛く厳しい現実」に突き当たることがあるだろう。それはお金がないとか、仕事がつらいとか、恋人とうまくいかないとか、脚のむくみがとれないだとか、トイレの黒ずみが鬱陶しいとか。そんな感じで大小さまざまに存在しているけれど、時にそのことが人の生死をも決定づけてしまうことがある。本作においても、ムーニーは貧困の家庭に生まれ学校には行けず、おそらく母であるヘイリーと同じように貧困が繰り返されてしまうのだろうということが示唆され、キラキラとしたムーニーの世界観に圧迫感のある現実が覆い被さろうとしてくる。「辛く厳しい現実」が「ムーニーの求める楽しく自由な現実」を侵犯していくのだ。

しかし、この映画の子供たちは本当に強かった。これでもか、と現実に抗い続け、定住を拒み、冒険することをやめない。この映画の物語っていること、それはもしかしたら現実味のない夢物語かもしれない。しかしそれでも、誰もがあの頃に経験した「無邪気な幻想」へと誘われるラストを観て、この世界が実はこんなに美しかったのだと、私たちは再認識することになります。

キュートでパワフルなワンダーランドムービー。
あなたもたまには辛い現実を飛び出して、
マジカルで自由な世界へと冒険に出かけませんか?

#映画 #フロリダプロジェクト #コンテンツ会議

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