肉体が衰えることで見つかるものがあるなら、永遠の命だからこそ見つけられないものがあるかもしれない
この前参加したイベントでちょっとおもしろいことに気づいたというか振り返ることがあったのでメモしておきます。
参加したのはこれです。
ワークショップで「永遠の命」についてどう考えるというものがありました。そこで、「永遠とは違うけど肉体が衰えることは悪いことではない」ということを最近思うようになってきたことを他の参加者に話しました。
衰えるからこそ効率いい方法を探す
僕はフリーランスのライターなのでほぼ毎日パソコンでキーボードをコンコン打っています。最近は指の疲れを顕著に感じるようになってきました。
特に、インタビューのときの文字起こし(音声をテキストにすること)。僕の場合は10分の音声で1時間かかる、つまり1時間のインタビューだと6時間かかって実質1日作業になってしまうわけです。夜には指がバッキバキに固まります。
そこで3月から、音声入力で文字起こしすることを試しています。音声出力をパソコンの入力につないで、Googleドキュメントで音声入力するという方法です。変換精度はかなり粗いので修正は必要ですが、ベースがあるのはかなり楽です。
この方法で、今までにかかっていた時間の3割くらい削減することに成功しています。
肉体が衰えたからこそ、新しい方法を試してみようと思い立ったわけなので、いつまでも若かったら時間短縮できるきっかけを見逃してたのかもしれません。
精神的には衰えたくない
肉体的に衰えるのはほぼ避けようがありませんが、精神的には衰えたくないとも考えています。言い換えれば、肉体的衰退を補うような新しい発見は常にしていきたいと思っています。
それは勉強であったり、テクノロジーのサポートであったり、人との出会いであったり、いろいろあると予想しています。発見を続けているうちは、生きているという実感がありそうです。
永遠の命は「死をもって発見できるものを失わせる」
ただ、それが永遠に続けてほしいかというと話は別です。肉体が衰えることで見つかるものがあるということは、肉体の衰退の先にある「死」をもって見つかるものもあるかもしれない、ということです。もう少し正確に書くなら「他人の死」です。
他人の死で気づくものがあるなら、自分も死ぬことで誰かに発見を与えられるかもしれない——そう考えると、永遠の命は「死をもって発見できるものを失わせる」と考えることもできそう。
もちろん、永遠だからこそ発見できるものがあるかもしれないから、もしかしたらトレードオフになるかもしれないけどね。
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