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トビタテ!留学JAPANプロジェクトディレクターの船橋氏をはじめ、様々な大物メンバーがボードメンバーとして名を連ねている「あしたの寺子屋」。
地域格差の解消、グローバル視点をもつ次世代の育成、落ちこぼれ・ふきこぼれのすくいあげ、人脈ネットワークの構築などを実践し、地方を中心とした1,000教室展開を目指し、一大ムーブメントを起こすべく、キックオフイベントが11/4に開催されました。
バラエティに富んだ約200名の参加者に向け、ボードメンバーを中心とした教育への思いと学びを止めないという強い気持ちを感じた2時間でした。

船橋氏よりあいさつ

まず、代表の船橋氏よりあいさつがありました。

この数か月で地域課題と教育課題を解決するために①日本の過疎地を中心に1,000か所一気に寺子屋を作ること、②課題をみんなで解決していけるようなプラットフォームを作ることを掲げ、日本の名だたる社会起業家と教育関係の皆さんのご賛同を得て、今のような動きが始まっています。トビタテ留学JAPANという官民共同プロジェクトをやっており、日本から海外に留学する若者を倍増しよう、留学が当たり前の文化を作ろうということで7年間やってきたなかである課題が浮き彫りとなりました。
それが、ラストワンマイル問題です。本当に末端の、地方の地域の子どもたちに情報が届かないのです。
結果、留学に関しては首都圏の子たち中心になってしまう。
これはもしかしたら留学だけに限らず、いろんなところで同じような現象が起こっているのではないかと感じていました。
子どもたちの選択肢や可能性は絶対に奪ってはならないと思っていたところにパネラーとして参加していたインフィニティ国際学院の大谷さんから「1,000か所寺子屋を作りませんか」という話をいただき、起業する嶋本さんを紹介していただきました。
簡単にいうと、いま、日本には約1700の市区町村があります。
そのうち1,000が人口3万人未満の地域。500が1万人未満。
1,000というキーワード、3万人未満のところには大手の学習塾が参入しない傾向にあります。それは、ビジネスが成り立たないからです。
そうなってくると、ここにいる子どもたちは多分居場所が学校しかない、ということになります。
学校は平均値に合わせるので、落ちこぼれは放っておかれるし、ふきこぼれも放っておかれる。
不登校の子も逃げ場所のコンビニすらない。
発達障害の子向けのフリースクールがない。
ここに何かできないかなと思いました。
①サードプレイスのような居場所
②いろいろなサンプルの大人、ロールモデルに会える場所
③個別最適な学びの場

を作ろうということで話が進んで、今に至っています。
生まれた環境に左右されることなく全ての子どものいまと未来をつなぎたい。明日を提供したい、という思いがあります。
今回このような話をファシリテーターの本間さん、ETIC宮城さん、ふるさとチョイスを立ち上げた須永さん、スタディサプリを立ち上げた山口さん、地域の留学を仕掛けている水谷さんにこういう問題意識を話してみたところ、5分、10分で「これは素晴らしい」と共感していただきました。
1,000か所の寺子屋とは別に、いろんな形で課題を解決できるのではないかと思うので、それを仲間を集めて、研究・探求を応援しよう、ということがプラットフォームとなっています。

このあと、教育学から学習学へ、最終学歴も大事だけど、最新学習歴を子供も親もみな更新していくのが大事であると言うことを提唱する京都芸術大学副学長の本間氏のファシリテーションにより会が進行しました。

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日本一アブナイ学長、大谷氏の思い

東北、青森県で生まれ、THE・昭和型の教育を受け、東京に出た時点である意味故郷を捨てていました。故郷にはチャンスがない、という思いで東京に出たという、ひとつの負い目がありました。
その後、サラリーマンを経てベンチャーをおこし、この11年間は教育関係に携わり、大学の学長を6年間やって日本の教育のウラオモテを全部見てきましたが、このままでは日本がヤバいと思い、去年、インフィニティ国際学院というユニークな学校を作りました。そこで、もう一つ悩みが増えました。
とんがった、キャンパスのない、非常に面白い学校ではあるものの、定員があるので、目の前の10人、20人位しか救えない。
日本全国には個性豊かな子が世界に羽ばたきたがっているのだけれど、自分は10人、20人しか救えていないという後ろめたさが増えてしまいました。
この思いがこの2年ほどの間に高まってきて、どうしても地方の子たちの可能性をすくってあげたいという思いがとまらなくなって、いろいろな方に声をかけていました。
そうしたら、素晴らしい方々が即答で賛同していただいて、こういう形になりました。

NPO業界の重鎮、宮城氏の思い

もともと、子どもたちを育てていくことがもっとみんなのものになったらいいなと思っていました。
全ての人が当事者として次世代を育てていくこと、そこから学んでいくことがたくさんあるということができればと思い、97年くらいからインターンシップの事業をはじめました。
全ての人が教える側に回れるし、全ての人から学べるという状態を作っていけないかという思いがありました。そういう意味ではこの寺子屋の発想が単純に教科の学習を支えていくということだけではなく、いろんな領域で地域を良くしたいと活躍している人たちが寺子屋の担い手となっていくのではないかと思います。
そういうことを通じて、地域の教育が変わっていくきっかけになるのではないかと思います。
私は地域が遅れているとか助けてあげなければと考えていることはあまりありません。
むしろ人が学んだり成長していく環境という意味では、豊かなものがあるし、そこにむしろ気づいていない方が大きいなという気がします。
そういう視点も含めて地域で人を育てることにつながればいいなと思っています。

教育事業をやりたかった須永氏の思い

実は会社を立ち上げるときに本当は教育事業をやりたいと思っていました。一緒に立ち上げた人から「教育は儲からないから、そういうのは儲かってからやりなさい」とロバート・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」というを読むよう言われました。
今年から社長を引退し会長という立場にたっていますが、行って、地域のことを知り、人・もの・金・情報を流通させるというミッションについては成功したかなと思いました。そして、それらを地域でぐるぐる回してわかってきた課題と地域ならではの魅力に気づきました。
ただ、これらの課題と魅力が全然マッチしていないと感じました。
その地域の魅力に対しなかなか地域の人が気づきにくかったり、それを活かせばもっとすごいのに、ということがたくさんあります。
また、地域の人の魅力もあるのですが、その人たちがあまり自信を持っていないのです。やっぱり東京の方がすごい、とかグローバル化できていないとか。そこにもっと誇りを持ってほしいなと思っていました。
今年一月に会長になってから、次のステージはやはり教育がやりたいと思っていました。
思っていた時に船橋さんから連絡があって、まさにコンセプトとスキームとやっている人が素晴らしいと思ったので私も即答で何かお力になれればということで参加させていただきました。

長年人材育成をやってきた水谷氏の思い

もともとリクルートで人財育成を30年ほどやっていましたが、もともとは愛知県出身です。愛知県を捨てて東京にでて、それ以来神奈川に住んでいました。
人材ビジネスをしていると、「本当は明確な根拠もないのに都会の方が可能性がある」と思っている若者が地方から都会に集まってくる流れがあるのですが、これはやはり日本にとって良くないことだと思いました。
明治時代以来ずっとそうですが、都会を目指すという流れを何とか止めたい、自分のようなものを増やしてはならないと思いつつも、経営者としてその問題に対して最後まで挑戦をしきれませんでした。
もう一つ感じたのは、社会の中で自分で自分の人生を切り開いていく力というものは、学力だけではないとうことでした。
大人や先生の言うことをきいて勉強を頑張って、ものすごくいい大学に行っても、就職の時に面接のチャンスさえもらえない大学生たちを山ほど見てきました。
また、仕事柄、就職をしてもそこからどんどん苦しんでいく人たちをたくさん見てきました。
それを社会はみんな教育のせいにしています。
最近の教育はこうだ、最近の先生はこうだ、と文句を言います。
この風潮を感じていたので、社会を自分で切り開いていく力というものを、学校で、もしくは子どもの時代に学ぶ機会になんとかふれたいと思っていたのですが、イチ企業の経営者としてはやはりこのテーマには取り組めませんでした。
30年間で残ったことは「地域の若者」ということと「生きる力」という教育だったので、島根に移って地域・教育魅力化プラットフォームという団体を作って活動を始めました。特に高校生を中心として、地域の高校というのは本当は都会の高校よりもよっぽど魅力的な3年間を送れるということに気づきました。
可哀そうな地域をすくうということをやっているつもりはなくて、都会よりもよっぽど素敵な3年間、もしくは実社会・地域というのは小さいだけになんとなく手触り感があるのと同時に、社会課題が山ほど目の前にあります。「あのおばあちゃん、薬局やめるみたいだから俺たちバンドエイド買えなくなる。どうしよう」と、高校生がその店の存続をみんなで活動するわけです。
これこそが本当の社会の中での挑戦なので、地域というのは未来社会の箱庭だということを、このプロジェクトを始めて自分自身が学んだことでした。いま、全国で70校くらい都会から地域に高校3年間親から離れて留学をして、進学をして、未来社会の中で挑戦をするという機会を作るということを本業としています。自分は高校だけでしたが、この話をいただいたとき、一緒にやろうと思いました。

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フリートーク内で出た会話

・地方を元気にしたいという思いはみんな持っています。以前起業家にアンケートとったところ、地方を捨ててうしろめたさを感じている人は70%いました。
みんなどこかでうしろめたさを感じ、どこかで還元したいと考えています。今はリモートなどの選択肢が広がったと思いますが、どこかで故郷を何とかしたいという思いが必ずあるのだと思います(大谷)。

・思い、愛着、愛情みたいなものがその地域を良くしていく原動力となります。一方で、この「地域」という認識が凝り固まっていると再発見することができなくなってしまうので、大人にとっても学びにつながるといいなと思います(本間)。

・徳島出身で、徳島に対する思いというよりは故郷に関しての懐かしさがあります。小松島市は、特別ひいきという感じというよりは自分の生まれた場所なので愛があるという一方で、だからこそ積極的に関われなかったという後ろめたさはあります。心理的距離が近いがゆえに、仕事に対する何らかの抵抗があったのかもしれません。
地方創生ということでいえば典型的な何もない田舎だったので、小さいころから地域で生きていくということは極力避けるべし、負けた人が残る場所だということを植え付けられてきており、そういうことをあまり疑うことなく育ってきていました。
今はそういう育ち方をしている人をたくさん見てきているし、全く自分自身の周りに対してその価値を見る目を育てることのないまま、大学で東京に出て来てしまったという残念な思いがあります(宮城)。

・前向きに生きたい。
トビタテの話をすると、地元を知らない形で出てきています。
地域で地域課題を持って留学したり、地域の人のほうがFace To Faceで一緒に汗をかいてくれています。場さえ作れば大人も来るのではないかと思います。
寺子屋で学ぶことでつまらないこともあるかもしれませんが、オンラインで他の中学生や斜めの関係と触れたら好きなものが見つかったり、地域が面白いと感じたりすることが出てくるのではないかと思います。
動機としては後ろめたさで地方に戻って、プロジェクトを進めるのもいいとは思いますが、刺激をうけて育っていくような感じになってほしいと思います(船橋)。

・函館出身。大学まで北海道、大学院は東京で人工知能を学んでいます。うしろめたさと焦りを感じているところです。
いかに地域に貢献できるかというところと、人の温かみの部分、個別最適化の部分をミックスさせれば、今までにないものを日本初で作れるのではないかと思います(参加者・長澤)。

・オンラインであっても面白い多様な人と触れ合うと新しいものが生まれると思います。感覚値、手触り感、誰とやっていくのかということが重要かもしれない(本間)。

・もともとうしろめたさから始めたのだが、始めてから知らなかったこと、学ぶことが多かったのが手触り感。
全国でいろいろプロジェクト学習をやる中で、東京の学生はアフリカの貧困問題をテーマに立てるが地域の高校生は13年間担ぐ若者がいないから神輿が止まってしまっている祭りの問題をテーマに据えている(水谷)。

・地方では高校の中にコーディネーターという不思議な存在の人間がいる。この人たちは教員でもなく、安月給で3年限定の支援員のような形で地域に行って高校生たちに機会を与えている人が200人以上います。
教育が儲からないのがわかっていても、機会を作るためにそういう仕事をしている人たちが多いのです。これが日本の可能性の最大の一つだと思いました。
こういう人たちこそ寺子屋を経営してくれたらいいなと思いました。手触り感を作っているのはコーディネーターたちで、経済的合理性を超えている人がこれだけいるのだと知りました(水谷)。

・任期が終わると起業しない限り残れません。地域との関係性を活かして教育に生かせればと思います。
また、海外青年協力隊が世界をみて刺激をもらった体験を田舎で披露してほしいという思いもあります(大谷)。

・島根県益田市で地域コーディネーターをしています。小学校に拠点を置きながら寺子屋を運営しています。
今年度は、夏休みに5日間の寺子屋を実践。
プログラム内容は釣りに行って魚をさばいて皆でご飯を食べる、というものでした。
また、保護者の要望でドローンをやりたいという人がいたので講師になってもらいやってもらいました。
コーディネーターを終わった後、専門はスポーツなのでそちらのほうで実践していきたいと思う(参加者・たつみ)

・ラストワンマイルは行政的な発想で、実際に寺子屋で学んでいる人からすればファーストテンメーターかもしれないと思いました。
小さな場であればそこからスタートすればいいと思いました(船橋)。

・やり始めてみえてくるのかなと思います。
ビジネススキルのスキームを作るのが得意なので、社会にいいことをしているのに経済的理由により続かないというのは違うと思います。
かといってそこにお金が集まるかというとなかなか集まらないところが課題です。
社会にインパクトを与えて持続可能になるのかはやってみてからわかってきます。地域ならではのモデル、地域自体を経営しようというのは、大人、子供関係なく誰でもできると思っています。
手触り感のある課題を経営目線、ビジネススキームを寺子屋の知恵を集めて作れるのではないかと思います(須永)。

・ある意味、教育は金を払ってでもやりたい仕事ではないかと思います。卒業生の寄付で成り立っているプロジェクトがあったり、一緒に場を共にしたいと思いがあります。そういう意味では寺子屋という概念にとどまらないことをやろうとしているのかなと思っています。
誰かが教えて学ぶということを想起してしまいますが、江戸時代の寺子屋は師匠が同志という感じで若者と向き合っていたのではないかと思います。
感覚的には社会起業家が子どもも教えている、コーディネーターが子どもも教えている感じが面白いのではないのでしょうか。
教科学習的なものがオンラインでも可能になっているなかで、手触り感のある経験をともにする、地域を良くしていく活動そのものが寺子屋の場面で最も価値あることになるかもしれないと感じています。そういうことを子どもたちと一緒に地域で生きていく大人たちがいっしょにやっていき、最高の学びにつながっていく予感がします。
新しい教育のスタイルを創り出していけるとコストがかからないのではないかと思います。
お金をいただいても構いませんが、教える行為そのものがコストではなく、価値になるという発想の転換ができると、教える側の選択肢が広がる面白いなと思いました(宮城)。

・「普通の学校で先生がティーチングをする」というパラダイムから、学び合うことであったり、教科書ではない手触り感のある社会課題について子どもたちの内からかんがえておいたほうがいいのではないかと思います。
日本は親の離婚率が加速しているというなかで、どうやってハウスルールを設定するのかというのも重要。いろいろな活動をしたときに未来に役立つのではないかと思います。
学習と社会課題を一緒に考え一緒に学び合う空間になるといいと思います(本間)。

・北海道にUターンしてきて、北海道というものについてあまり知らなかったことに気づきました。ファーストテンメーターの重要性が明らかになっていく中で今回このプロジェクトをまとめていきました。
また、勉強の入り口に社会との接点を作るなかでこの人たちにも悩みがあるということにも気づきました。
他の地域の同世代と共有するということは、自分の地域の中だけでは難しいものであっても、範囲を広げれば更に世界が広がるのではないかと感じました。
パッション、ビジョンがあって優秀な人だが悩みを抱えている現状があります(嶋本)。

☑365日やっていたらネタが尽きてしまうこともあるのにコラボすることができない。
☑塾、寺子屋は夜になるので自分の悩みを相談できる時間がない。その相手がいない。孤独を抱える。
☑寺子屋を作る人同士のコミュニティも必要だと感じる。

・オンラインの教材が廉価ででてきました。寺子屋はコーチとキュレーターを一番に考えてあげられれば外につながって行けるのではないかと考えています。

☑世界中のロールモデルをオンラインで接してあげる。
☑地域の手触り感を活かし、実践型の学校を作る
☑学習支援はもちろん、5教科以外のコンテンツを提供できる。



オンラインとオフライン、拠点同士を行き来しながら人生観を広げていくことができるのではないかと思います(嶋本)。

ボードメンバーからヒトコト

須永:ユニークなスキルがあり寺子屋の可能性を感じました。バックグラウンドや教育のできる人がたくさんいて刺激を受けました。

水谷:日本が戦争に負けて憲法を作る時、日本中の田舎の農民が日本国憲法の草案をたくさん作り、世界で稀有な国だと話題になったことがあります。このことは江戸時代に始まった、誰でも入れる「寺子屋」という文化がそれを生んだと学んだことを思い出しました。今回の可能性から未来を作る子どもたちが生まれればいいなと思いました。

宮城:この取り組みの可能性を感じました。いろいろなバックグラウンドを持っている人たちがいました。
寺子屋の師匠としてなりうる可能性の人たちで、それぞれの事情にマッチした形になると喜んで当事者意識をもって考えてもらえるのではないかと思いました。また、兼業・副業での可能性も感じました。

大谷:松下村塾に行って思ったのは、この学びを全国に広げたい、寺子屋こそが未来を変えていくのではないかということでした。

嶋本:1000人いたら1000通りの寺子屋があり、いろいろな子どもたちに会う場を提供できればと思っています。

船橋:うしろめたさが動機の50歳以上のおじさんたちが必死にチャレンジしようとしているし、20代の子がリスクを顧みずチャレンジを始めたりしてこの一ヶ月で仲間がたくさん集まってきました。必死で関わってもらうことが後ろ姿として伝わるのではないかと思います。

本間:始めるときに「うまくいかなかったらどうしよう」という安全装置が出てしまいがちですが、失敗に対するおそれが前に進むことの妨げとなるのなら失敗というのはやめようと思います。
質の高い未成功をつなげていくのが成功への道です。
「トライアンドエラー」というのは具合が悪く、「トライアンドラーン」でいろんなチャレンジをしていきましょう。トライトライトライで新しいラーニングができるのではないかと思います。

おわりに

今回、このような素晴らしい先生方の集まりの輪の中に入ることができ、とても幸せ者だと思いました。
私自身、25年ほど前に今思うと寺子屋式の学習塾を運営しようと立ち上がり、夢半ばで潰えてしまった苦い経験を持っています。
わが家に子どもがいなければ、再び教育について考えることはなかったのではないかと思います。

子を持ち、保護者としての立場となって再び教育現場に足を運ぶようになった時感じたのは、「日本の義務教育は自分たちが学んでいた時以上に閉鎖的である」ということでした。

私が学生時代だった時は「東の千葉、西の愛知」といわれるほどに有名な管理教育の行き届いた地域で、いじめ・体罰当たり前の環境の中で育ってきました(千葉県市原市)。世間では、戸塚ヨットスクールの体罰事件が連日テレビで問題視されていた時代です。
ただ、このような厳しい空間の中でも、当時はまだ自分の思い通りに動けた部分もいまよりは多かったのではないかと記憶しています。

現代社会は「普通」という焼き印を押したお饅頭をを製造しているように感じます。
「普通」な人は焼き印が押されみんなと同じ空間にいれるけれど、そこから上に突き抜けた人、下でもがいている人は焼き印が押されず別の空間に押し出されてしまいます。
そういうふうになりたくないから自分の思いを押し殺して「普通」の焼き印を押してもらおうと一生懸命演じてしまうのではないのでしょうか。

日本の教育システムは「評価」というものに縛られてしまっているので、最高学歴という勲章を得るために親も子も先生もみんなそれぞれの思いを押し殺して、とにかく背伸びできるだけ背伸びして頑張ってしまいます。
自分がいた時代の「相対評価」から「絶対評価」へと評価法自体は変わってきていますが、変わっているという事実をしらない大人は、周りと比べ、よかれと思って「頑張れ、頑張れ」と旗を振ってしまいます。その結果、耐えきれなくなった子は不登校、なんとか頑張っている子の中にも隠れ不登校となってしまう子がいるのです。

また、地方はスタートから遅れをとってしまっている、という事実も否めません。
わが家は2000年から2014年まで福岡県北九州市というところに住んでいました。子どもを小学校受験させようと調べたとき、国立が1校、私立が2校しか周りになく、選択肢のなさに驚きました。夫が脱サラをした時に東京行きを強く希望したのも、この選択肢のなさからきています。

その当時と比べれば、今はオンラインが急速に進み、一流の先生の授業が廉価で見ることができ、選択の幅が広がっています。これからの社会は組み合わせにより、むしろ地方だからこその特長を活かした学校運営の可能性を感じているところです。

世界中の同世代とつながることができるオンラインはとても魅力的です。そうなってくると、これからの社会はどこに住んでいるのかはあまり関係なくなり、様々な世界観を持っている人たちと一瞬でつながることができるのでその先の将来の選択の幅も広がってくるものと思われます。

個人的には、これからの社会は終身雇用が崩れ、個人単位の横のつながりで共創していく社会へと徐々に移っていくのではないかと予測しています。
オンライン・オフラインを通して、誰と組むのか、なぜこのプロジェクトにかかわるのか。「人・もの・金・情報」をいかに回すかが今後の鍵となるのではないかと思います。

そのためにも、あしたの寺子屋のような小さな拠点をたくさん作り横広がりの世界観を出すのは非常に有効ではないかと思います。ここからいろいろなコラボレーションが生まれてくる予感がしてきます。
教育を単なる教育空間にせず、地域、企業、世界と視野を広げていけるような空間になれば大きなムーブメントにつながると思います。

↓ ↓ ↓ ↓ 当日のグラレコです ↓ ↓ ↓ ↓

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