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宮所直喜という男前編

僕の高校の時の相棒、宮所直喜という男。

姉の影響で幼稚園からサッカーを始めた僕は、、、
ちょっと待って!なんてなんて??

姉の影響でサッカーを始めた僕は!?

姉の影響でかえ!!!!!
兄ちゃうんかえ!!!!!

めずぅーーーーーーーーーーー!!!!!

だいたい男の影響ってなんとなく兄貴っぽいよね。

まぁその兄なんて僕にはいない!
そのかわり姉が4人おる!

めっ、めずぅーーーーーーーー!!

つよししっかりしなさい!でも姉3よ!

もう一個上なんや、つよしより。めずいなぁ僕って。

姉4いて、その姉から影響を受けてサッカーをする奴。

めずいけどなぁ。

あ、あ、あ、今日のテーマは宮所直喜という男か。

戻ります。

僕は幼稚園からサッカーを始めた。
幼稚園、小学校、中学校、一貫して同じクラブチームだった。小さな田舎町のクラブチームだった。
それはそれはサッカーだけに明け暮れた日々を過ごした。まぁそらいろんな遊びもした。しかしそれよりもサッカーをたくさんしたのだ。
僕の人生、サッカーなしでは何もなってなかったかもしれない。まぁその今も何もなってない。でもよくぞサッカーをしてた。いやさして頂いてただ。勘違いするんでねぇ。感謝なのだ。

中学校から高校の進路を決める時が来た。
生まれて初めて自分の道を選ぶ時が来たのだ。
僕はとにかくサッカーの強い所に行きたかった。名門、三重四日市中央工業を志願した。しかし現実は厳しかった。行きたかったで終わる。受験もしていない。理由はそんな所に行く資金なんぞなかったからだと思う。そんな事言うと親に悪い。僕の実力不足だ。
結局僕は奈良の高校に行くことになる。
そこの学校には名将がいるからそこでやればいいやん!と言うのだ。そう言うので泣く泣くそこにした。

幼稚園から中学校まで一緒にサッカーをした池田雅志という男がいる。彼は僕の人生にとって非常に重要な人物だ。今でも覚えてる彼の言葉。「意外とどこのチームも同じ練習をしている」強いチームも強くないチームも同じ練習をしている。気持ちの違いなだけだ。と言うことだ。もちろん練習内容の引き出しの量や、戦術などは違うだろうが、でも基礎は同じでどういう気持ちでやってるかなんだ。それをわりと早い段階で彼は気付いてたんだろう。比較的賢くクールな奴だった。そんな彼の言葉それを聞いてなんか安心したのを覚えてる。

そんなこんなで僕は15の時に奈良へ行き、寮生活をした。ここで上手い所を見せて1番になる。そしてチームも1番になるんだと。先生も名将だと聞いている。大丈夫だ!
最初の練習で、僕の噂を聞いてたみたいで先生から話しかけられた。「おまえか、西村。待ってたぞ」と。そんな僕は有名ではない!誰から何を聞いたんだ!!しかし名将と呼ばれるこの方に最初から知られてるのは大きかった。「○○先生よろしくお願いします。」
「あ、○○先生は今年から大学の指導者になった」
(いやいやいやいやいやいやいやいや、えーーーーーーーーーーー!おらんのかえ!!てかほなだれーーーーーーー????)心の中が乱れた。(えっ、ほな俺何しにここ来たん??)乱れも乱れた。後から先輩に聞くと、○○先生は去年までいたが今年から大学を見ることになった。代わりにサッカー未経験の先生が顧問になったという。待って待って待って。思ってたんとちゃう。

そんな高校生活の幕開けだった。

ここで出会ったのが宮所直喜という男だ。

初めての続編。後半で。
はいはいはい、前半に宮所直喜出てけーへんねや。

ほならばまた

#サッカー #高校生活#部活の思い出

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