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「毒ガス」

冬場はどうも調子が悪い。目を覚ましてから体が思うように動くまで、かなりの時間がかかってしまう。それでもさすがにお日様があそこまで上がれば、だんだん調子も出てくるものである。

ボクはかなりおなかが減っていたので、何か食べものを探しに外に出た。しかし案の定、適当なものがそう簡単に見つかるはずもなく、仕方がないので、そのままそこら辺をブラブラしていた。

しばらくすると、向こうから、「あいつ」がすごいスピードでこちらにむかってきた。何か、非常に慌てている様子である。

「おい、聞いたかよ」
「何を?」
「毒ガスだよ、ド・ク・ガ・ス!!」
「毒ガス?!」

ボクは、今なお慌てたままの「そいつ」の表情を見ながら、それでいて、やはり「そいつ」の口から出てきた「毒ガス」という意外な言葉に、多少我を忘れかけていた。

「毒ガスって、毒ガスが一体どうしたんだ?」
「なんでも、今、その毒ガスのせいで、上は大慌てらしいぞ」
「どんなふうに?」
「何か、メチャメチャ危険なガスらしくてさ、実際、死人も何人か出ているらしい」
「マジで?」
「ああ。しかもヒドイのがさ、そのガスってのが無色無臭で、普通にしてたら全く気が付かないんだって。で、何かおかしいな、と思ったときには、もう遅いそうだ」
「ふ~ん」
「そんな危険な毒ガスを、通勤時間の地下鉄にまいたヤツがいるらしい」
「だったら、被害も大きかったんじゃないのか?」
「ああ、そりゃそうさ。全く普通に呼吸している、その空気自体を毒ガスにされたんだからさ。そりゃ、どこにも逃げられない、っていうか、毒ガスの中で息をせざるを得ないんだから」
「ひどいなあ。どうしてそんなことをするヤツがいるんだ?」
「さあ、まだはっきりとは分からないけど、何でも、ある宗教団体が、自分たちの教義の確かさを証明するためにまいたっていうのが、もっぱらの噂だぞ」
「なんだ、そりゃ」
「俺にも良く分らん。とにかく、そういう事らしい」
「じゃあ、そうすると、自分たちの都合のためだけで、全く関係ないものの命を巻き添えにしたっていう事か?」
「ああ」
「そんなことが起こって、上のヤツらは何も言わないのか?」
「もちろん言ってるさ。なにせ、自分の周りを、そいつらの都合だけで毒ガスにされたわけだからな。みんな、許せないって怒ってるさ……」

そこまでしゃべると、突然「そいつ」は大きく目を見開いたまま、ピクリとも動かなくなってしまった。

「おい、どうしたんだ?」

今までボクと普通にしゃべっていた「そいつ」は、何の前触れもなく、いきなり白目をむいたまま、その場で横になってしまった。

何が起こったのかさっぱり分からないまま周りを見ると、「そいつ」と同じように白目をむいた仲間達が、次から次へと、どんどん「上」へ昇っていくのが見えた。

「一体、みんなどうしたんだ……」

ボクは、その不思議な光景に我を忘れて見入っていたが、しばらくすると、どうやらボクも例外ではないことが分ってきた。次第に全身がしびれてきて、呼吸も苦しくなってきたのである。

「何かおかしい」

そう思ったものの、今やボクにはどうすることもできない。次第に呼吸が困難になるばかりである。

「なんとかしなくちゃ」

ボクは必死にもがいたが、もう体は、全く言うことを聞かない。そして突然、目の前が真っ暗になり、ボクはそのまま気を失った……

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「ねえ、おとうさん、おとうさん。あそこにお魚がいっぱい浮いてるよ」
「ああ、多分、あの工場から出てる、汚い水のせいだろう」

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