『東海道中膝栗毛』累解

ここの「累解」は、重ねてこの作品の登場人物である弥治郎、喜多八に関する説明をする、くらいのニュアンスだと思われます
最初の文は、「或人問う、弥治郎兵衛、喜多八はもとと何者ぞや」
から始まっていて、彼らの経歴を説明する箇所であることがわかります
その答えですが、
・弥治郎→ただの親父(笑)、なんとも適当すぎませんかね(笑)ただし、累解の次の部分で経歴などが述べられます
・喜多八
こちらが少し面白いところですが、江戸っ子のイメージが強い二人ですが、彼は正確にいうと江戸っ子ではありません。出身は「駿州江尻」とのこと。これを現在の住所でいうと、静岡市内の清水地区にあたります東海道本線の清水駅の近くですよ

江尻宿の場所

ちなみに、物語とは関係ないですが、「江尻」と聞くと僕は鉄道唱歌東海道編を思いだします。これは東京〜神戸間の東海道本線沿いの景色を歌ったものですが、その19番目の歌詞に以下のものがあります
「♪世に高き興津鯛 鐘の音響く清見寺
清水に続く江尻より ゆけばほどなき久能山」
ここに出てくる江尻がまさに喜多八の出身地ということになります。
ちなみに余談ですけど、鉄道唱歌のこの部分の歌詞には徳川家康関係の施設が二つ盛り込まれています。みなさんおわかりでしょうか?
一つは、「清見寺」で、これも清水地区にありますが、江尻よりやや北側にあり、JRの最寄りは興津駅ですね。ここは家康が駿府に今川家の人質だったころに手習いをしたといわれます
もう一つは「久能山」で、これは「久能山東照宮」のこと。徳川家康は遺言で「遺体は久能山に葬るように」としましたので、その通りに遺体を久能山に安置し、息子で将軍職をついだ徳川秀忠が久能山に東照宮を建てました
さて、そうした名所も近い江尻に育った喜多八ですが、前に「陰間」だったといいました。これは男色を商売としたり、少年の俳優のことだったと言いましたが、ここでもそのことが書かれています。そして、出身が江尻ですが、どうやら「尻」は陰間の縁語らしい。そして、作者の十返舎一九自体が駿府(静岡市)の生まれなので、静岡近くで「尻」が入る地名を探して江尻出身という設定にした可能性があるのです
喜多八の経歴についてここで簡潔に述べられています
1.旅回りの興行をする役者「花水多羅四郎」の弟子になって、そこで陰間として働く
(江戸時代は、たまにこういう笑ってしまう名前が出てくる。これはよんでのとおり鼻水をたらしている、ということから取ってます。
登場人物だけでなく、現実にいる人間のペンネームにも、変な名前が使われることがあります。狂詩や狂文を収めた『寝惚先生文集』というのがありますが、その作者の一人が「安本丹親玉」で、見ての通りアンポンタンと読みます笑)
2、「尻癖」=女癖がわるく、一つの場所に身を落ち着かせることができなくなった
3.方々から苦情を言われるようになって、弥治郎と一緒に江尻を出た
こうして、弥治郎と喜多八は江戸に出てきて、物語へとつながっていきます。ここでおわかりだと思いますが、弥治郎も江戸出身ではありません。弥治郎の経歴や本格的な物語についてはまた次回以降述べます。




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