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『東海道中膝栗毛』発端、弥治郎の人物評

十返舎一九作『東海道中膝栗毛』で記事を書くとしてから2週間が経過してしまいました。私自身、ゼミの発表が忙しく、なかなかこちらまで手が回っていませんでした
 さて、小学館の『新編日本古典文学全集』の中の『東海道中膝栗毛』(中村幸彦校注)や、岩波文庫の『東海道中膝栗毛』(麻生磯次校注)を主に参考にしていきたいと思います
そこで、まずは一番最初の部分、「発端」の人物評の部分を読んでみましょう
この物語の登場人物の一人、弥治郎は次のように書かれている
「原来間漢徒(もとよりのらもの)
臉客串戯方(かほかたちはだうげがた)
本分著色旦(こころいきはいろごとし)
随何皆不当(おしゃべりみなすかたん)」

漢字だけだと難しそうですが、振られているひらがなをみるとたいして難しくはありません。「のらもの」は、「仕事もせずにぶらぶらと遊んでいるもの」
「だうげがた」は「道化方」の当て字ですが、歌舞伎の世界では「道化方」を(かんげがた)と読み、滑稽な役をする俳優のことを指します。 
「いろごとし」は「色事師」の当て字で、歌舞伎で色男役の俳優のことをいいます
「すかたん」とは漢字で「不当」と書いているように、話がでたらめということです
 ここまでを合わせると、弥治郎の人物評は、「もとから遊びほうけていて、滑稽なことをするような容貌である。ただ、本人は色男役の俳優のように、女性にもてる外見だと思っている。話すことはみなでたらめ」といった具合になりましょうか。悪口、なのでしょうか?それにしてはどこか憎めないような感じもします。きわめつけはこの人物評の後にくる歌(川柳?)
河豚(ふぐ)さげて よこにふくれた 男かな

この解説をみると思わず笑ってしまう。「ふぐのようによこにふくれた肥大漢が、ふぐを持っていて今日はこれで一杯やろうなどと言っているのも、共食いを連想させておかしい」といった趣旨の歌だそうです(笑)ここで面白いのは、弥治郎本人は自分のことを女性にもてる顔だと思っていることです。けれど、ふぐのように横にふくれた、は本当は弥治郎が不格好であることを示しています。だから、彼は自分の容姿に自信を持ちすぎている、ということになります。まあ、自分を卑下するくらいなら自分に自信を持ったほうがいいと思います、けど、こうした彼の性格がおそらくこの後の物語で問題を引き起こしていくのでしょう。この彼の性格がどんな展開を生んでいくのか愉しみですね。でたらめなことをたくさん言って周りを困らせそうな感じがしますが(笑)
ちなみに、下に弥治郎の人物評、顔のイラストを載せておきました。漢字のよこの振り仮名は、「変体仮名」といって、くずしのもとになっている漢字が違います。たとえば、現代使われる「た」は「太」を崩していますが、下の図のは「多」を崩しているのでかわった形をしています。また、俳句の部分の「れ」のもとの漢字は「連」で、「礼」をくずしている現代の「れ」と明らかに形が違います。日本史や日本文学を専攻にしている方はこの変体仮名を覚えるのに苦労したのではないでしょうか、僕もその一人です。
さて、顔のイラストを見てみましょう。僕には残念ながら歌舞伎の素養がありませんので、これが滑稽な役者の顔なのかわかりませんが、歌舞伎に精通している方はわかるのかもしれません。人物評や俳句では不格好と言われていた彼ですが、僕はそうでもないと思いました。まあ、雰囲気的に、真面目な感じはしないなと思いました。みなさんはどう思うのでしょう、特に女性の方はこのイラストをみてどういう印象を受けるのか気になります(見た目というよりもむしろ、話がでたらめばかり、というところがマイナスになる気がする)

今回は、弥治郎の人物評について取り上げました、次回はこの物語のもう一人の主要人物、喜多八の人物評について取り上げます、スピードは遅いと思いますがどうかお許しください。
なお、japanknowledgeを契約している人(個人でも、大学経由でも)はおそらく「本棚」→「新編日本古典文学全集」のところから『東海道中膝栗毛』が読めると思うのでぜひ読んでみてください。


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