見出し画像

【第四章】何回だって生きなおせる。

自分を変えるには「催眠療法」が糸口になると掴んだ私は都内の催眠療法を片っ端から調べた。

催眠療法はスピリチュアル?

期待とは裏腹に、当時の検索にヒットしたサイトには「天使」「竜神様」「引き寄せの法則」といったスピリチュアルな言葉ばかり並んでいた。きっと今もそう、残念ながら。

確かに催眠療法を深く学べば学ぶほど、領域的にはリンクするところもある。目に見えるものだけが全てではないから、全うなスピリチュアルは全然支持するけれど、自分の人生他力本願の信仰宗教チックなものには拒否反応が出てしまう。

なんだ、そっち系かと当時の私は思ってしまった。
ちなみに今でも人に催眠療法というと怪しまれるのだけど、本来は全くそういう類のものではない。ひとつ前の記事にも書いたのだけど、「本来の自分の解像度を高め、それに見合った生き方マニュアル=あたらしい生存戦略を作っていく。」これが催眠療法だ。


それが叶えられる「催眠療法」が受けられるところがないか、十数件も門を叩いてやっとたどり着いたのが、今のわたしが所属する協会の代表だった。この先生なら信じられる、そう思ったのは後にも先にもこの先生だけだった。当時鬱っぽい症状でズタボロだった私に、開口一番、「人生は自己責任です」とおっしゃったからだ。(実際は私の様子を見て、もっといいタイミングで、優しいことばで)その言葉を聞いて、この先生は信じられると強く確信した。

先生はよく来たねと向かい入れ、「幼児退行」のセラピーをしてくださった。「幼児退行」のセラピーでは文字通り、幼児期へ意識を持っていく。現在起きている問題の原体験まで遡り、そこで何が起き、どう感じたから今の解釈と行動パターンが出来上がっているのだと理解していく。

私の場合はわかってはいたけれど、やはり「母親」との関係にフォーカスがあたった。何度やってもそこにたどり着く決定的な場面が何度も出てくる。

毒親ということばで片づけない。

母親は世にいう「毒親」だった。
常にヒステリックで、不機嫌。

小学校、中学校では常に学級代表をやらなければならなかった、成績も学年で10位以内にならないと認めてもらえなかった。通知表は5段階評価で3をとることはあり得なかった。習い事は月曜から金曜までスケジュールが詰まっていた。そろばん、水泳、英会話、ピアノ、習字。

ピアノの先生に怒られて帰ってくると、母は理由を聞くまでもなく、お前が悪いと横に座り、家でも練習。ミスをすれば手を鍵盤ごと叩かれる。

常に優秀さを求められ、自分の意見が全てさえぎられる環境下にいた私は「嘘」をつくようになっていた。誰かに褒められたら、少し盛って母親に報告する。先生にも自宅でいかに勤勉であるか嘘をつく。友達にも巨勢を張るようになって素直に遊びにだって誘えない。優秀でいなければならない私が下手に出てはいけないからだ。本当に我ながら嫌な子供だ。

そうして私にとっては今も鮮明に思い出す、あの日を迎える。母からしたら普段の何気ないやりとりの一部で全く記憶にも残っていないかもしれないあの日。

小学3年生の2学期のおわり、母は三者面談を終えて、落胆していた。担任の先生に最近の私の素行をたしなめられたからだ。わたしが家に帰ると母はリビングで泣いていた。近くに来るように言われたがなんとなくそれを拒否した。私はリビングの隣の部屋であるキッチンから話を聞いた。なんとなく同じ空間に入りたくなかった。


「先生から、最近あなたがこういうことをしていて、とても残念ですって報告をもらったけど、どう思っているの」

「・・・」

「ちゃんと言葉ではなしなさい」

「・・・」
こういった言葉のボールをを号泣しながらわたしに剛速球でぶつけてくるのだ。ついに

「あなたは本当は悪い子じゃないのに、、、」
と言われてその会話が終わった。

私はこのとき解釈し、決心してしまったのだ。
☑ 母が求める優秀な人物になれない私は無能である。
☑ 母には何を言っても伝わらず、私の意見は不要である。

そこから私は人が話しているとき、特に怒っているときに、意識をほかに飛ばす技術を身に着ける。

そうした生き癖がついてしまった。そうしなければこの環境下では生きていけないと判断した幼き日の私がいた。もしあのとき、今の私がいたらそんなことないって夜通し抱きしめながら話を聞いてあげたい。もう嫌と言われるまで強く、強く抱きしめたい。必要ならば「そうじゃない、そんな悲しい勘違いをするな」と頬をひっぱたいてやりたい。

最近、「ひとよ」という母親が子供のために罪を犯すという映画を見たのだけれど、大人になっても眠れないときに母親の布団で一緒に寝かせてもらうシーンがあった。母親がぎゅっと子を抱きしめる。とても普通のことなのだけれど、わたしにはそういった記憶がない。幼き日にさみしくて布団の中で母親の手をつないだら、「気持ち悪いからやめて」と言われた。


愛されなかった時、どう生きるか。

催眠から覚めると、わたしには圧倒的に「愛」が足りてなかったのだと先生から聞かされた。無条件に愛されること、ここにいれば何があっても大丈夫だという安全基地がないこと。そういった経験は親子との間で形成されるが、それが形成されなかったのだ。

もちろん3児の母として、よく立派に奮闘してくれていたと思う。田舎で生まれ、協力的ではない父と毎日衝突しながらもよく育ててくれたという感謝も深い。50歳を手前に若くして亡くなってしまった母からはもう、本音もなにも聞くことはできないのだけれど。

どんな環境で育っても完璧な人間がいないのと同じく、完璧な親はいない。ちょっとしたコミュニケーションのすれ違いで、勘違いは容易に起きてしまい、容易にトラウマまで深い傷になってしまう。

だから「毒親」「親ガチャ」といった言葉で原因を定めて楽になりましょうというのではなく、幼き日に自分がどう解釈してしまったことが、今の自分の生きづらさになっているのかをちゃんと理解し、心の髄からすとんと腹落ちさせることで、生きなおすことができるようになる。
こんな自分が嫌だと思えば、あっけらかんと生きなおしてしまえばいい。

私が行ったヴィパッサナー瞑想の道場ではこころを湖にも例えていた。

こころは湖。泥が入ればすぐ濁ってしまう。
すくってもすくってもまっさらな湖にはならない。

表面だけきれいになったとしても、
底の方は泥がまだまだたくさんある。

ここがきれいになったと思ったら、
こっちはどうかとすくい続ける。
それが人生なのだと。

つまり、人生一生勉強ということ。
もう完璧、いい人間になれたから大丈夫!なんて日は来ない。むしろそんな風に言ってしまっている人は疑った方がいい。一時的にハイになっているか、虚勢を張っているだけだ。

根本から人生を見直したい、一生自分を磨き続けたいと思ったら、出会ったときに、強く必要だと感じたタイミングでぜひやってみてもらいたい。一種のスピリチュアルなものとして偏見の目でカテゴライズされているのは実にもったいない。催眠療法はもっと広く認知されてほしいし、もっといえば9歳までの人の育て方をもっと学べる場が欲しい。ひとの心とはどうやって育つのかということを学べる場が欲しい。催眠療法に出会わずして子供を設けていたら、わたしは間違いなく母のコピーをしていた自信がある。そんな連鎖は実に不幸だ。

わたしはいまも、もちろん立派な人間ではない。
でも知ってしまったからには、同じように苦しむ人にバトンを渡したいと思ってしまった。この魂の前進が続く未来を強く願う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?