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満開の桜の写真を撮らない理由

桜の季節がやってきました。写真撮影が趣味の人にとって桜は絶好の被写体です。花見会場に行けば、多くの人が桜にスマホを向けていることでしょう。そしてsns上では満開の桜がずらりと並びます。

日本人にとって桜が人気の理由は、寒い冬を終え、春を象徴する花であるとともに、わずかな期間しか花を咲かせない儚い命に心奪われるのではないかと思います。さらに入学、入社など人生の節目の時期に咲くことでも、深く心に刻まれます。

ただ私は満開の桜にカメラを向けることはありません。正確にいうと、桜だけの写真は撮らないということです。そう簡単に正面から満開の桜を撮れません。なぜ満開の桜を撮らないのか、そんなところを詳しく書いてみたいと思います。

ちなみに、満開の桜を撮りたい人はどんどん撮ればいいと思います。写真は自由です。


満開の桜の写真を撮らない理由はいくつかあります。

1、完成されすぎている

満開の桜といえば、1年のうちの一週間程度です。最高潮、完璧な姿です。それ以上はありません。さらに先を想像させる余地がありません。それに私にとって満開の桜はすごく神聖に感じられます。神社の拝殿にカメラを向けないのと同じ感覚です。

2、難しい

完璧な姿を完璧に写真に収めるのはかなり難しいです。光の使い方や構図、カメラ知識、気象条件など、相当な技術と根気が必要になります。写真が上手い人に到底敵いません。

3、個性が表しにくい

満開の桜の写真だけを並べた時、誰が撮った写真か判断ができません。「有名カメラマンが撮った桜です」と言われると、「さすが、やっぱり違う」となるかもしれませんが、普通は誰が撮ったかわかりません。撮った人の個性が表しにくく、周りに埋もれてしまいます。

以上のような理由があげられます。


それでは満開の桜は撮らないのかと聞かれると、そうでもありません。何かと一緒に撮ることをします。要は満開の桜を主役にするのではなく、他のものを主役にして、桜は主役を引き立てるための脇役にします。「それではせっかくの桜が、もったいない」と思うかもしれませんが、もったいないことをすることによって、主役がより一層引き立ちます。

これは、写真と共通点が多い俳句の世界でも同じことが言われています。

前回の記事「俳句から学ぶ写真とは」でも触れました。

「一物仕立て」と「取り合わせ」です。

俳句の場合、桜のことだけを詠んだ句が「一物仕立て」、桜と何かを組み合わせた句が「取り合わせ」です。「一物仕立て」は全体の3%ぐらいしかありません。なぜなら難しいからです。まずは「取り合わせ」から始めることが大切です。

写真の場合も同じです。
桜だけ撮るのはすごく難しいことです。でも多くの人は桜だけを撮る「一物仕立て」から入ってしまいます。そして誰もが同じような写真を撮って、まるで個性のない右へ倣えの写真になってしまいます。

満開の桜を説明するのではなく、自分なりの視点で、満開の桜を想像させるところが、写真の面白さだと思います。


写真を勉強するためには、写真以外の分野から学ぶことが、案外近道のような気がします。


今回の俳句の内容は、「夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業」に詳しく書かれています。写真との共通点が多くありますので、よろしかったらご覧ください。




それでは、今年も素晴らしい桜の写真が撮れることを祈っています。


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