無門関第四十則「趯倒浄瓶」現代語訳
公案現代語訳
本則
潙山和尚は、元々は百丈の寺にいて、典座を務めていた人である。
百丈は、大潙山の寺の住職を、選ぼうとしていた。
そこで、首座だけでなく、修行僧全員に、同じ条件で自らの悟りの境地を述べさせ、住職にふさわしい人物を向かわせようとした。
百丈は、浄瓶をとりあげ、地面に置き、出題した。
「これを浄瓶と呼んではならん。ならばこれを何と呼ぶ」
首座はすかさず答えた。
「木の破片と呼ぶわけにはいかないもの」
百丈は向き直り潙山に問うた。
潙山はすかさず浄瓶を蹴り倒して去った。
百丈は笑って言った。
「首座よ、潙山に一本取られたな」
そういうわけで、潙山が大潙山の住職に任ぜられた。
評唱
一世一代の大勝負にでた潙山であったが、いかんせん百丈の張り巡らした檻を跳び越えることはできなかった。
よく考えてみれば、重きを便りし、軽きを便りせず。
何故か。聻。
鉢巻きを脱ぎ去り、鉄枷をはめている。
頌
笊や木杓を放り出し
天子南面の一突きは 周りの遮るものを絶す
百丈の重い関でも遮り留めることはできず
足先で蹴り飛ばし 仏麻の如し
注釈
百丈は、二則で野狐を成仏させ、それに関して説法したら、弟子に張り倒された人です。それを笑い飛ばすんですから、大した御仁です。
百丈の弟子である潙山霊祐は、自らを「水牯牛」と称していた人ということで、三十八則でちらっと触れました。
典座(てんぞ)というのは、寺の炊事係です。
僧侶の毎日の食事の調理を、大抵は一人でこなします。
なぁんだ飯炊きかよ、などと思うなかれ。食は生命の根幹ですから、それを一手に担う典座は、禅寺ではかなり重要な地位なのです。
見所のある僧侶がその任につく場合も多く、決して単なる下っ端ではありません。
十三則の徳山托鉢に登場する雪峰も、この典座に就いていました。
首座(しゅそ)は所謂第一席。寺の修行僧のリーダーです。
浄瓶は、浄らかな水を容れる水瓶のことで、寺では手を洗ったりするのに用いられることが多かったそうです。
本来はその形は決まっていなかったようですが、だんだん「胴の肩に受け口が付き、頸の上方に細長い口が備わる形式」になっていったらしいです。
文章じゃピンときませんかね。こういうやつです。
この画像だと、向かって左側の口から水を注ぎ入れ、細長い口から中の水を出す、という使い方になるそうです。唐代にはすでにこの形のものが数多く作られていたそうですから、禅寺の浄瓶もこんな形だったのかも知れませんね。
天子南面するという語は、原文では「当陽」という語です。
太陽は東から昇ったら南を通って西に沈むでしょう。陽に当たる、ということは南を向く、すなわち、南面する。
南面というのは何なのか、ですけど、南の逆側である「北」には、「背を向ける」「逃げる」などの意味があるので、南面するとはつまり「逃げない」「背を向けない」「真正面から立ち向かう」という意味があろうかと思います。
なお、原文の「便重不便輕」の部分はどう訳すればいいのかわからなかったので、読み下したまま書いてあります。
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