無門関第十七則「国師三喚」現代語訳

公案現代語訳

本則
 国師が三回従者を呼んだ。
 従者が三回返事をした。
 国師は言った。
「私がお前の期待に応えられていないのかと思っていたが、本当は、お前が私の期待に応えられていないのだな」

評唱
 国師は三回呼び、その舌先が地に堕ちた。
 従者は三回応え、和光が吐き出された。
 国師は老いて淋しくなったか、牛の頭を押さえつけて草を食べさせようとしている。
 従者はそれを引き受けようとはしなかったが、いかな美食も、飽食で腹の満たされた人には意味がない。
 さて、言ってみろ。
 彼が期待に応えてないというのは、どこのことであろうか。
 国浄くして才子貴く、家富んで小児嬌る。


 穴のない鉄枷は 人が担がねばならない
 累は子孫に及ぶ なおざりにはできない
 門を支えながら 戸を支えようとすれば
 裸足で刀の山の上を歩かねばならないだろう


注釈
 国師とは、Wikipediaによると、高僧に対して朝廷が贈る諡号の一つです。
 諡号とは、貴人に死後贈られる名前のことです。
 この公案の国師は、慧能の弟子の慧忠であるとする注釈が多いんですが、この公案に関しては、国師が誰であるのかはあんまり関係がないような気もするので、私はここに関してはあんまり深掘りしません。

 和光は、「自分の本来の知徳の光を隠し和らげること」というような意味だそうです。

「国浄くして才子貴く、家富んで小児嬌る」は、宋代のことわざだそうです。このことわざの正確な意味を私は知りません。ストレートに訳すると「国が乱れず治まれば才ある者が貴ばれ、家が裕福になれば子供が可愛がられる」となるように思います。
 才知に長けた者が出世をするというのが、喜ばしいこととされているのか、舌先三寸で分不相応に成り上がるという否定的な意味なのか。
 また、子供が可愛がられるというのが、大切にされるという意味なのか、甘やかされるという意味なのか。
 それぞれ後者を採る訳文が多い印象です。

 ここでいう鉄枷は、罪人の首に嵌める鉄製の首枷のことだそうです。
「穴のない鉄枷」を仏法の隠喩であるとする注釈も存在するようですが、私はそのあたりの詳しいことは知りません。

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