「~になります」は、言わせる方にも責任がある
■腹のたつ日もあるさ、人間だもの
お腹がすいたねとメシ屋に入って注文して、待つことしばし。
店員さんが持ってくる。そして。
「お待たせしました。マルゲリータピザになります」
お腹がすくとね、イライラしやすくなるわけですよ。
早く食べたいから、「ああ、はい」と聞き流しはしますが、
「なりますって何だ。何が、今、ここで、ピザになるんだっ」
「さっきまで皿に載ってたのは、小麦粉かっ。それともお前が小麦粉なのかっ。さてはお前、グルテン星人かあっ」
などとね、思ってしまう。どうしても。
社会に出るにあたり、敬語表現をきっちりビシバシ叩き込まれて久しい大人の皆さんなら、どなたも一度くらいは、覚えがあるでしょこういうの。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というフレーズは、ビートたけしがあくまでもギャグとして生んだものですが、この「なります」も、結局そういうことのひとつではあります。
「言葉は変化するもの」とか言われると、なんとなく知的な言い回しに聞こえますけど、それって本質は所詮「みんな言ってて通じるんだからいいじゃん」ってことですから。「みんな渡ってて怪我してないんだから良いじゃん」とあんまり大差ない。
で、じゃあどうしてこんな珍妙な(とあえて言いますが)言い回しが生まれたのか。
ここからは、完全な私見です。下調べは一切していません。
■「~になります」は、多分、こうして生まれた
日本人は、「松竹梅」が大好きです。
いわゆる「特上・上・並」と3段階にランクづけする、アレです。
これ、昔は「上・並・並下」と言ってたんです。
それがいつの間にか「並下」が消えて、「特上・上・並」になりました。
この、「並下」を嫌がる感覚。
これが実は「~になります」を生んだのだと、私は考えています。
上流・中流・下流みたいな切り分け方、あるでしょう。
日本人の多くは、おそらく、何の根拠もなく、自分を「中流」だと思っています。
上流とまではいかないけれど、下流と言うほど落ちぶれてない。
普通だもん、と。
だから、他人からも、そういう扱いをされることを望みます。
さて。
日本人は、あらゆる世界を3つに斬るのが大好きなので、店のことも、そういう分類の仕方をします。ここでは、飲食店を例に出しますが、基本的な構造は他の店も同じだと思います。
すなわち。
・松:特別なイベントのときにしか行かない、特別な店。
・竹:普段の食事に使う、普通の店。
・梅:お金も気遣いもあんまり必要ない、安さと気楽さが魅力の店。
こうです。
そして、そういうランクに相応しい接客を望みます。
それは、店側も理解しています。
だから、平成初期くらいまでの接客は、大体こんな感じでした。
・松の店:「~でございます」を徹底。
・竹の店:「こちら、~です」が基本。
若いバイトだと「~でぇす」と語尾は伸びがち。
・梅の店:「はい、~ね」。タメ口が基本。
つまり、重要なポイントは、「~です」は、「丁寧な言い方」「一応、きちんとした敬語」と認識されていたという点です。
さて。昭和中期頃から平成初期頃。
高度経済成長からバブル景気への流れで、日本は裕福になりました。
ピークは90年代初頭。あの頃は日本中の庶民のネジが2~3本外れてました。
庶民は、持ち慣れない金をもったら、セレブ気分を味わいたくなります。
当時の日本人は、戦後の鬱憤を晴らすかのように、ジャパンマネーの威力に物を言わせて海外を我が物顔で闊歩し、今より有色人種への差別感情が強かった英仏米あたりからめちゃめちゃ嫌われました。今の中国人を見て「あんな感じだったのかな?」と想像してもらえれば、さほど外していません。
国内ではどうだったかというと、それまで竹ランクの店にしか行けなかった人の一部が、松ランクの店に行くようになりました。
そして、梅ランクの店にしか行けなかった人の一部が、竹ランクの店に行くようになりました。
梅ランクの店は、商売あがったりです。
どうすれば客を取り戻せるか考えました。
その結果、「味を追求しよう」と考えた店もたくさんありましたが、多くの店は「接客を改善しよう」と考えました。
その結果、こんな感じになりました。
・松:「~でございます」
・竹:「~です」
・梅:「~です」
竹と梅に大きな差が無くなってしまいました。
日本人の多くは、自分を「竹ランクに相応しい中流」だと思っています。
上流扱いは、分不相応で落ち着かない。
下流扱いは、プライドが傷つく。
しかし、上記のような状況が生まれてしまったせいで、竹ランクの店に行く客の中に、こんな感じ方をする人が現れ始めました。
「オレに対して、梅ランクの接客をするとは、けしからん」
「竹の店に来たのに、梅と同じ接し方をされたと思った」みたいなところから怒りが生じるのでしょう。
普通に「竹ランクの接客をされている」にもかかわらずです。
コンプレックスをもてあまし気味の、知性が少々残念な人は、往々にして語彙が貧弱なので、自分の怒りを適切に言語化できず、「お客様は神様」という、どこかで聞きかじったフレーズを借用して訴え始めました。こういうタイプの人は実は結構多かったらしく、この流れは根強く続きます。
昨今の「カスタマーハラスメント」は、この辺りが発生地点かもしれません。
そういうわけで、お店の状況は、こんな感じになりました。
・松の店:成金に困惑しつつも「~でございます」で平常運転。
・竹の店:「~です」と言いつつ、梅と一緒じゃマズいと感じている。
・梅の店:「~です」が馴染んできている。
「~です」に、「梅ランクの安っぽさ」が染みつき始めました。
なので、竹の店は、できるだけ早く「松よりカジュアルで、梅より丁寧な、接客方法」を生み出さねばならなくなりました。
こういう背景の元に、「~になります」は生まれ、浸透していったのではないか、と、私は考えているのです。
初めてこのフレーズを用いたのは、北海道の、若いバイトの店員だったという話を聞いたことがあります。
地域性はともかく、「若いバイトだから、きちんとした敬語を使えなくても仕方がない」という層と「『~です』より、何かちょっと新しい響きだから、丁寧に聞こえる」という層の両方に受け入れられて、次第に耳に馴染んでしまい、その使い勝手の良さであっという間に拡散し浸透していったのではないか、というのが、私の推察です。
■敬意を示せないのは馬鹿、敬意を欲しがるのは下品。
「銀座の高級店じゃないんだしさ、『~です』で充分よ」と、客側が思えない限り、「~になります」は絶対になくなりません。
大した無礼を働いたわけでもない店員に「何だその言葉遣いは」と言う客が少数でも存在するうちは、第二第三の「~になります」が生まれ続けるでしょう。
敬意は、示し方と同じくらい、受け取り方にも、知性と品性が要るのです。
そういうわけで、私は、「~になります」というフレーズを聞いたら、「バカに対する予防線も大変よね。お仕事ご苦労様」と、普段は考えることにしています。
普段はね。
お腹がすいてると、どうしてもねぇ。好きなフレーズではないので、もやっとしちゃう。
でも、もやっとするだけで、店員さんを責めたことはないので、大目に見てやってください。
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