江戸川乱歩『日記帳』考察①

 江戸川乱歩の『日記帳』という短編小説について、考察を綴ります。
 未読の方は、是非お読みください。
 一読する程度なら、数十分もあれば充分な分量です。

 朗読の音源を聴くのも楽しいかも知れません。
 興味のある方は、聴いてみてください。


■あらすじ

 弟の初七日が済んだ頃、語り手である兄は、弟の書斎に一人訪れます。
 そして、兄は、弟の日記帳を発見し、中身を読み始めます。
 その記述から、恋には縁遠そうに思われた弟が、ある女性と葉書をやりとりしていたことが判明するのですが……。


■この物語の大前提

 この小説は、独り語り形式です。
 物語は終始、兄の感覚、兄の視点、兄の考えに基づいて語られます。
 それは「兄にとっての真実」です。
 しかし「兄にとっての真実」が常に必ず「客観的な事実」であるとは限りません。


■時系列(これ以降はネタバレします)

 まず、わかる範囲で、作中の出来事を時系列にまとめようかと思います。

 3月9日   弟が雪枝に葉書を出す。以降葉書のやりとりが行われる。
 この間    弟が発症。自宅療養か。
 5月21日   弟が最後の葉書を雪枝に送る。
 この間    弟に病の診断がつく。おそらく不治の病。
 5月25日   雪枝が弟に最後の葉書を送る。
        以後葉書のやりとりは途絶える。
 10月頃?   兄と雪枝が婚約。
 10月     弟の病状が悪化。
 12月頃?   弟死去。

 初七日が「凍った風」が吹いている冬なので、昔の日本の暦の冬が10月~12月であることを考えると、弟の死去はおそらく12月頃。
 そして、兄と雪枝の婚約は、弟死去の2ヵ月前です。
 ということで、印象としては、婚約が10月頃、弟死去が12月頃と考えるのが、いちばんしっくりきます。


■兄にとっての真実

 兄は、弟の日記帳の記述から、弟が雪枝に対して、恋の告白を暗号のように隠した葉書を送っていた、と知ります。
 そして、雪枝からの返信の、切手の貼り方から、雪枝もまた、弟に対して恋心を抱いていたことを推察します。
 しかし、弟の日記帳の、「失望」「あんまり臆病に過ぎた」という記述と、それ以降葉書のやりとりが途絶えたことを根拠に、「ふたりとも相手の気持ちには気づかなかった」と結論づけます。

 つまり「弟と雪枝の恋は成就しなかった」が、兄にとっての真実です。

 しかし、これはあくまでも、「兄にとっての真実」です。
 つまり、乱暴に言えば、「兄が信じたがっている願望」である可能性も、ゼロではない、ということです。
 では、実際はどうなのか。
 それを、これから、綴ります。


■雪枝は暗号に気づかなかったのか?(これ以降は私の考察です)

 先ほども書いたとおり、雪枝の葉書の文面と、弟の日記の文面の内容を見て、兄は「雪枝は弟の気持ちに気づかなかった」と結論づけます。
 一見、無理のない論理展開に見えます。

 しかし、です。
 ここで気になる点がひとつあるのです。

 作中には、発信日と受信日が詳細に記してあります。
 それを一つ一つ点検すると、気になる事実が浮かび上がります。
 それは、「雪枝は、通常はその翌日、遅くても翌々日に返信するのに、最後の葉書に対する返信だけ、4日も日数を開けている」ということです。
 こんなに返信に時間をかけているのは、最後の葉書だけです。

 これ、私には、偶然ではないように思えるのです。

 まず、雪枝が、弟の21日の葉書が最後だと気づかなかったなら、その21日の葉書は、雪枝にとっては、弟からのいつもの葉書に過ぎないということになります。ならば、従来通り、翌日、遅くても翌々日に葉書を出す方が自然です。
 さらに雪枝は、それ以前には、数回、弟の葉書が来るのを待たずに葉書を出してもいますから、それ以降も何度か雪枝の方から出すはずだと思うのです。

 しかし実際は、5月21日の弟の最後の葉書に対する25日の返信で、雪枝も最後にしています。
 それは、私には「5月21日の葉書が最後なのだと、雪枝自身が理解していたから」だとしか思えません。
 ではなぜ、雪枝は理解できたのか。

 いちばん想像しやすいのは、弟の21日の葉書に「これが最後だ」という意味の文言が入っていた、という状況かと思いますが。

 ちなみにこの頃はまだ弟の病状はそれほど悪化してはいません。
 兄弟と雪枝は遠縁ではありますが親戚なので、そのあたりの状況は雪枝の耳にも入っていておかしくありません。
 なので、身体面の悪化で筆をとれないと雪枝が推測したという可能性は、比較的低くなります。

 また、「この葉書が最後」という意味の文面が21日の葉書に入っていたとして、もしそれを雪枝が「失恋の手紙」として受け取ったのであれば、その後の雪枝の対応は「拒絶の意図を尊重し、これ以上返信をしない」か「自分もこれで最後にするという意味の葉書を送る」かが、自然なようにも思います。例えば、最後だけ切手をまっすぐ貼るとか。

 しかし実際は、雪枝は、一見当たり障りのない病気見舞いの文章の、切手をやはり斜めに貼った葉書を、しかしこれまでとは違い、4日も間隔を開け、25日に送るという選択をしているのです。

 さらに、決定的な事実がひとつ。

 雪枝が最後に返信をした日付は、25日です。
 これは、弟の暗号に照らし合わせると、「Y」の日です。
 つまり、雪枝自身のイニシャルの日なのです。

 雪枝は意図的にこの日を選んだのだと、私は思うのです。
 これがおそらく、最後の返信だけ、4日も間が開いた理由です。
 しかも、切手は、変わらず斜めに貼られています。

 以上のことから、25日の雪枝の返信の真意は、
「貴方の気持ちは、すべて受け取った。
 私も、ずっと変わらず、貴方を想っている」
 だとしか、私には、考えられないのです。

 雪枝は、ちゃんと弟の暗号に気づいている。
 これが、雪枝に関する、私にとっての真実です。


■弟は切手の謎に気づかなかったのか?

 兄が言うには、弟は「内向的」で「書斎にこもりがち」の「筆まめ」な男です。おまけに「臆病」で「プライドが高い」。
 要は、兄は弟を「引きこもりのコミュ障の陰キャ」だと思っているということです。
 だから弟は雪枝の好意に気づかなかったのかもしれない、というのが兄の推測なんですが。

 気づかないわけないだろ、というのが、読後の私の印象です。

 恋心を込めた切手の貼り方に関して、重要な点は、ふたりがそれを「いつ」「どのように」知ったか、ということです。
 まず、ふたりは、直接会って、その話題で語り合っています。
 さらに、それは、何十年も前の話ではありません。
 文通開始の直前です。何なら、その話題が切っ掛けで文通を開始したのかもしれません。

 そんな状況で、雪枝に葉書を出したら、雪枝が、その語り合った方法通りの葉書を、自分に、何通も送ってくるんですよ。

 これで、切手に気づかないなんて、あり得ないでしょ。
 どんな奥手の朴念仁でも「もしかして…」くらいは思うはずだと思う。
 それでなくても、好きな相手からのサインは、むしろいい方向に考えたがるのが人情だと思うんですけどね。

 弟は、雪枝の恋心に、気づいている。
 私にはそう思えてしまったので、これを前提として考え進めます。
 しかしそうなると、解釈が難しくなるのが、25日の日記の文章です。


■25日の日記に関する疑問点

 5月25日の日記に関しては、疑問点がいくつか生じます。

  • なぜこの日に限って、雪枝の名を伏せる必要があったのか。

  • 弟は、何に失望したのか。

  • 弟が「臆病だった」「取り返しがつかない」と悔やんでいるのは、何に対してなのか。

 少なくとも後の二つは、兄がいろいろ述べています。
 しかし、何度も言いますが、それはあくまでも兄の個人的な推察に過ぎないので、それと同じ結論になろうとなるまいと、自分で考える必要があります。


■25日の雪枝の葉書

 雪枝の絵葉書の切手は、一枚の例外もなく斜めに貼られています。
 ならば、この25日の絵葉書も、切手は斜めに貼られていたのですから、弟の失望は、少なくとも、失恋をしたと思ってのことではないはずです。

 弟が切手の謎に気づいていたなら、雪枝の最後の葉書から弟が受け取ったメッセージは、「貴方への私の心はずっと変わらない」です。
 その、雪枝の最後の葉書が送られてきたのは25日。
 弟の暗号で言うところの「Y」の日です。
 だから、日記の本文に「Yより返信来る」と書いたのでしょう。
 これは、「雪枝さんから返信が来た」という意味と、「雪枝さんは自分の暗号を理解してくれた」という意味の、ダブルミーニングだと解釈すれば、腑に落ちる表現です。

 つまり、弟もまた、「自分の心が相手に伝わった」「相手も自分を思ってくれている」と理解していることになるのです。
 しかし「失望」。そして「取り返しがつかない」。
 いったい、弟は、何に失望し、何を後悔しているというのでしょう?
 そして、なぜこの日だけ、受信欄に雪枝の名前を書かなかったのか。

 これを読み解くヒントは、「25日は、病の診断が下った同時期」そして「弟は非常に用心深い男だった」という記述です。


 思いの外長くなりそうなので、一旦切ります。
 続きは次回に。

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