芥川龍之介「藪の中」考察③

 芥川龍之介「藪の中」の考察について、綴ります。

 今回は、後半3人の供述について。
 後日追記編集するかも知れません。
 なお今回は、3人の供述について、「事実として話していること」と「主観による推測」は記していますが、「嘘や隠蔽」を詳細に判別するということはあまりしません。それは次回以降の予定。
 今回はあくまで「こう供述していた」「それによりこう考えられる」程度のことを記す予定です。


■多襄丸の白状について

 本件の容疑者として捕らえられたのは、多襄丸という盗人です。
 本人も、今回男を殺したことを認めています。
 その供述内容は、以下の通り。

・昨日の昼すぎ、山科の駅路で、男と女を見かけた。
・女の牟子の垂絹がめくれたとき顔が見えた。
・男と女と道連れになった。
・男に「見つけた鏡や太刀を安価で譲る」と持ちかけ、男を藪の中の杉に縛りつけ、口の中に枯れ葉を詰めた。男は抵抗したが不意をついたのが功を奏した。
・女に「男の具合が悪くなった」といい、藪の中に連れて行った。
・女は抵抗したが、組み伏せて手込めにした。
・多襄丸が逃げようとしたら、女が「どちらか一人死んでくれ」と言った。
・男の縄をとき、男と斬り合いをした。
・太刀で男の胸を貫いた。
・男を倒したときには、女の姿はなかった。
・多襄丸は逃げる際、太刀と弓矢を奪ったが、太刀はすぐに手放した。

 多襄丸の主観は以下の通り。
・女の顔は菩薩のようだった。
・当初は女を奪うのが目的で、男は殺しても殺さなくてもよかった。
・男と女をバラバラに藪の中に誘い込む計画を立て、実行した。
・女が「どちらか一人死んでくれ」と言ったとき、女を妻にしたい、そして、そのために男を殺そう、と思った。
・女が姿を消したのは、助けを呼びに行ったため。だから自分も逃げた。

 前半4人の証言と、さほどの矛盾がない点は以下。
・二人を藪の中に連れ込んだ。
・男の縄をとき、切り結んだ。(後半3人の供述とは矛盾あり)
・太刀で胸を貫いた(傷の大きさによっては矛盾あり)

 前半4人の証言との矛盾は以下。
・胸の傷が小さいならば、太刀で胸を貫いたという供述と矛盾が生じる。

 後半三人の供述との矛盾は、後述します。

 不明な点は以下。
・色黒の瓜実顔の女を一目見て「菩薩のようだ」と認識した。
 菩薩像は通常色白。女は当時の美人像からは若干外れている。
・朝廷の役人の有り様に不満を抱いている。
「オレは人を殺すが、お前達は直接手にかけずに殺す。
 或いは命を奪わず殺す。そうして殺したではないか」
 何をされたのか。
・力に自信があるわりには、女を奪うためにわざわざ策を弄している。
・わざわざ、男の前で女を手込めにしている。
 男を縛りつけ放置し、その後女を馬で連れ去れば、より簡単だったはず。


 多襄丸の供述だけを聞いたら、こいつが犯人なんだろうねと、すんなり受け止めてもらえそうなほどには、しっかりした供述内容ですが。
 それでもよく解らない点は多々ある。
 それは上に列挙しました。

 多襄丸は、水干を着、太刀を持っています。
 水干は基本的に、朝廷の下級の役職の装束です。
 また、○○丸という名前は、通常は、武士の幼名に多い名前です。
 そういうわけで、多襄丸は、元々武家出身だったのに盗人に身をやつしたのか。それとも盗人でありながら武士に憧れたのか。
 そのいずれかが、現状なのでしょう。
 極端な話、「小説『羅生門』の主人公がこの多襄丸である」などと言われても、さほどの違和感はありません。

 いずれにしろ、「つまらない平民では終わりたくない」感は、言葉の端々から伝わってきます。

 そう思って読むと、多襄丸は、人から「卑怯」と思われることを嫌っていることがわかります。
 侍たらんとするなら、卑怯なことはしてはならん、って感じでしょうか。
 盗人なのにね。盗みと強奪は卑怯じゃないのかよ。
 盗人には盗人なりの理があるんでしょう。


■女の懺悔について

 女は、男を殺したのは自分だと供述しています。
 その供述は以下の通り。
 手込めにされるまでのことには触れていません。
 おおよそ、多襄丸の供述通りだったということでしょうか。
 なお、女の供述が、事件発覚から何日後のものかは、わかりません。

・紺の水干を着た男に手込めにされた。
・男は縄で縛られていた。
・水干の男に蹴り倒された。
・その後自分は気を失った。何を叫んだかは覚えていない。
・気がついたときには、紺の水干の男はいなかった。
・男はまだ縛られていた。
・「自分も後を追うから死んでくれ」と男に言い、小刀で男の胸を刺した。
・男の太刀も弓矢もなかった。
・再び気を失い、西日が差す頃に目が覚めた。
・男は絶命していたので、縄をといた。
・小刀で喉を突こうとし、池に身を投げようとしたが、死ねなかった。

 女の主観は以下の通り。
・紺の水干の男は、男を嘲った。
・男の元に走り寄ろうとしたところ、水干の男に蹴り倒された。
・男は自分を蔑み、憎んだ。
・男は自分に「殺せ」と伝えてきた。

 前半4人の証言と矛盾がないのは以下。
・水干の男に蹴り倒された。(後半3人の証言とは矛盾あり)
・小刀で男の胸を刺した。(傷の大きさによっては矛盾あり)
・太刀も弓矢もなくなっていた。

 前半4人の証言と矛盾があると考えられるのは以下。
・小刀で男の胸を刺したのが、傷が大きければ矛盾あり。
・絶命後、縄をといた。

 後半3人の供述との矛盾は後述します。

 不明な点は以下。
・気を失う前に、何を叫んだのか。
・なぜすぐに男の口を利けるようにしなかったのか。
・清水寺に身を寄せるまでの経緯。


 この女も、事実と推測と推量がごちゃごちゃになりがちなタイプです。
「蔑まれたと思った」ではなく「蔑まれた」と言い切ってます。
 それは案外事実だったかもしれないとも思うんですけどね、裁判の場でいきなりそう言い切れてしまうあたりは、少々厄介です。

 おまけに、ちょいちょい、気を失って、覚えてないところがある。
 例えば、「何を叫んだかは覚えていない」と言います。
 酒癖の悪い奴が自分の醜態を「酔っていて覚えていない」と言い張るのに、少しだけ似ています。
 男を刺したことは「覚えている」のに。
 夫を刺し殺す罪より受け入れがたい何かがあるんでしょうか。

 さらに、自分が話したいことを話し終えたら、わあわあ泣き出します。
 これ以上余計なことを訊かれたくないのかと見えなくもない。
 女の供述が、いつのことなのかがわからないので、場合によっては、夫に死なれた(あるいは殺した)ことによる精神の不安定も勘案しなければならないでしょうけど、自分が話し終えたら泣いて打ち切ろうとするところは、媼と似てますね。

「勝ち気」というよりは、何ですかね、「自分本位」な感じ?
 まあ、ある種の女性不信に陥っていたらしき芥川が描くから余計にそう見えるんでしょうけど、ちょっと面倒なタイプです。

 女は現在、清水寺に身を寄せているらしいことが、章の題でわかります。
 なぜそんなことになったんでしょう。
 すぐに家に帰ったわけじゃないんですね。
 山科から清水寺までは、5キロほど距離があるようです。
 旅路は基本的に馬で移動していた女が、1人で、徒歩で、迷いもせずに、無事にたどり着ける距離なのかどうか。
 無理とまでは言いませんけど、ちょっと微妙なところです。
 そして、それが可能だったとしても、1人でいきなりぶらっと訪れて、「ここに置いてください」と頼んだら、当時の寺の僧侶は、そのとおりにしてくれる人たちだったんでしょうか。
 今ひとつピンときません。どういう経緯だったのか。
 誰か、連れがいたんでしょうか。であれば、誰?

 なお、小刀をいつ抜いたのかは、おそらく刺した直後でしょうね。
 事件発生がおそらく昼過ぎ、女が二度目の気絶から目覚めたとき西日が差しています。つまり、その間ざっくり4~5時間くらい経っているだろうと思うので、ぼちぼち死後硬直が始まっていてもおかしくない。
 そうすると、刀は簡単に抜けなくなるんじゃないかと思うのです。
 よって、少なくとも、二度目の気絶から目覚めた後ではないと思います。

 また、「目覚めた後に縄をといた」のであれば、「仰向けに倒れる」のは物理的な意味でも硬直の面でもかなり難しいように思うので、木樵りの証言を真とする限りは、女のこの供述はちょっと疑わしくなるかなと感じます。

 そもそも本当に気絶してたのかよ、というような、比較検討による考察は、次回以降の予定。


■死霊の物語について

 巫女の口寄せによる、死んだ男の供述です。
 男は「自分で自分を刺した」と語っています。
 この供述は、すべて男の言葉であるという前提で考えます。
 そうしないと、流石に話がぐだぐだになるので。
 この供述も、いつのものかはわかりません。

 女が手込めにされるまでの事については、語っていません。
 この点は、女と同じです。
 男の供述は、以下の通り。

・盗人は、女を手込めにした後、女を口説き始めた。
・女は、ずっと膝に目を落としていた。
・盗人が女を妻にしたいと言った。
・女が「どこにでも連れて行って」と答えた。
・女が男を指さし「あの人を殺してください」と叫んだ。
・盗人は女を蹴り倒した。
・盗人は男に「あの女を殺すか? 助けるか?」と訊ねた。
・女は藪の奥に走り去った。
・盗人は女を取り逃がし、太刀と弓をとり、縄を一箇所だけ切った。
・盗人は「今度は俺の身の上だ」と言い残し、藪の外に逃げた。
・自分で縄をとき、杉の根から体を起こした。
・落ちていた小刀で、自分の胸を刺した。
・誰かが小刀を胸から抜いた。ここで完全に意識を失った。

 男の主観は以下の通り。
・男は女に「盗人の言を真に受けるな」と伝えようとした。
・女は盗人の言葉に喜んでいた。その顔は美しかった。
・女に男を殺せと言われた盗人は、真っ青になり驚いていた。
・女の叫びによって、女に対する憎しみが生まれた。
・胸を刺したとき、苦しみはなかった。

 前半4人の証言と矛盾がないのは以下。
・女が蹴り倒された。(後半3人の証言とは矛盾あり)
・太刀と弓を盗人が持っていった。
・縄をといた後、小刀で胸を刺した。(傷の大きさによっては矛盾あり)

 前半4人の証言と矛盾があるのは以下。
・小刀で胸を刺したのが、傷が大きければ矛盾あり。

 後半3人の供述との矛盾は後述します。

 不明な点は以下。

・男の、女に対する気持ち。
 男は、口説かれて喜んだ女に妬みを、「あの人を殺して」と叫んだ女に怒りと憎しみを抱く。そしてこの2つを『妻の罪』だと言っている。
 しかし、女が手込めにされたこと自体には、全く言及がない。
 平気だったのか。だとすればなぜか。

・男と女の夫婦仲。
「あんなに美しい妻は見たことがない」と言及している。
 夫である男は、結婚前、ちゃんと口説いてあげなかったんだろうか?

・女はなぜ「藪の奥」に走り去ったのか。
 逃げるなら「藪の外」だろう。盗人のように。
 なぜ女は藪の奥に走ったのか。
 そしてなぜ、盗人は、それでも女を捕らえることができなかったのか。

・盗人の「今度は俺の身の上だ」という言葉の意味。

・なぜ男は自死を選んだのか。
・なぜ胸を刺したとき、苦しみがなかったのか。

・誰が小刀を抜いたのか。


 この男の語りを読む限りでは、「自死しなければならない理由」がよく解らないです。
 相当つらい思いをしたのだろうとは思いますよ。
 やっと迎えた妻を故郷に連れて行く、その路上で盗人に妻の身も心も奪われたんですから、生きる気力が失われるのもわからなくはありません。
 しかし、誰かに対する怒りや憎しみが強く持続しているうちに自死する、というのが、どうにもしっくりきません。
 わざわざ死んであげることはなくない?
 現在あの世で思い出し怒りをしているだけで、その瞬間は案外悲しみだけに支配されていた、ということかもしれませんけど、それにしてもね、という感じ。
「怒り狂い、憎しみ一色になった」から「疲れ果てた」に至るまでの、重要なピースが、欠けているような印象もある。

 私はこれまで、旧2ch、現在の5chに書き込まれた、配偶者から浮気をされた人の書き込みを読むことが何度かあったんですが、だいたい皆さん、ものすごく怒り狂った後、「相手に報復したい」「今の自分と同じくらいかそれ以上に、相手にも苦しい思いをさせたい」と考えるんです。
 それがどの程度の行動になるかは、当人の生来のキャラクターにもよるのでしょうが、少なくとも「死を選ぶ」という方向にはあんまり行かないようなんです。まあ「そういうタイプの人ばかりが書き込むんだろ」と言われればそれまでですけど。

 というわけで、私は、この時点で、「男が自死した」というのは、嘘か思い込みか記憶の誤作動のどれかなんじゃないか、と想像してるんです。
 自分で刺した瞬間、痛みを感じなかった、と書いてあるので、あれはおそらく、「夢をみるかのように、あの世で思い出している」ということなのだろうと思うのです。普通は刺したら痛いでしょ? 刺されたことがないのであんまり自信満々には言えませんけど。
 何らかの理由で、「誰かに刺された」のを「自分が刺した」ということにしたいんじゃないかな。本当に刺された瞬間に、妙に冷静になってしまって、怒りや憎しみ以外の何らかの感情が生まれて、「あいつが俺を殺した!」ではなく「自分で刺した」と言う気になったんじゃなかろうか。
 その理由はまだわからないですが。

 男は何度か、長い沈黙を挟んでいます。
 話すか、話さないか、迷う事柄が存在しているような気がするんです。
 男にとって最も重要な事実や感情は、結局、隠されたんじゃないのかな。

 


■3人の供述に対する雑感

 比較検討は、次回以降詳しくやることにして、ここではざっくりした感想を少し。

 まず、この物語の状況について。
「3人とも『自分は殺してない』と言い張っている」ではありません。
「3人がそれぞれ『あいつが殺した』と言い張っている」でもありません。
「3人とも『自分が殺した』と言い張っている」という状況です。
 これ、ありそうでなかなかないパターンだと思います。

 こういう状況でいちばんありがちなのは、「犯人以外は、犯人を庇っている」というケースだと思います。
 特殊ケースだと「3人とも、『誰が殺したのか』が解っていなくて、自分が大切な誰かが犯人だったとしたら、という恐れから、自分がやったと言い張る」というのもあったりしますが、どうなんでしょうか。
 いずれにしても、3人にはそれぞれ、一見、いわゆる利己的な醜さだけがあるように見えますが、それだけじゃなくて、自分の命よりも大切にしたい何かがあった、ということではあったのでしょう。

 この推測を仮に前提とした場合、何が考えられるか。
 まず、前述したとおり、「男が自死した」可能性が最も低い。
 そもそもこの場合は、残る2人が「いや、自分が殺した」と言い張る必要性がありません。妻である女はともかく、少なくとも多襄丸にはそうすべき理由が見当たりません。自分が極刑にかけられるリスクを無駄にしょってまでやることではないと感じます。
 信じてもらえようともらえまいと、素直に「男が自死した」と話せばそれで済むでしょう。

 なので、女が刺したか、多襄丸が刺したかのいずれかだろうと思います。 傷の大きさが書かれてないので、太刀で刺したのか小刀で刺したのか、何とも言えないんですが、とりあえずこれで証言と供述が全員分出揃ったことですし、回を改めて、いろいろ考えることにします。
 これまで以上にまとまりがなくなるかも知れません。

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