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日本美術よく知らんけど『奇想の系譜展』には行きたい奴の覚書

いま上野の東京都美術館で開催中の『奇想の系譜展』、あれ行きたいなと思っています。よくわからんけど明らかに狂ってるもん。

ただこの「よくわからんけど」ってところに密かなコンプレックスがあって、いわゆる「芸術作品」に対する興味や審美眼がおしなべて乏しい。

俺が10代で通ってきたカルチャーといえば仮面ライダー、『NARUTO』、『BLEACH』、伊坂幸太郎、海堂尊……けっこう「ポピュラリティど真ん中」なラインナップで、高尚そうな美術作品やらが入り込む余地などなかった。
日本史やってても美術史のあたりで別にテンション上がることもなく、あまつさえ「狩野元信だの正信だの似たような名前しやがって死ね」と文句を垂れていたクチである。

ピエール・ブルデュー的な表現をするなら、文人趣味という「ハビトゥス(嗜好)」がなかったんですね。金持ちの家にでも生まれてたらハビトゥスも保証されるんだろうけど。富裕層、滅べ。

それでも初めて自主的に展覧会へ行ったのが高校3年生のとき、『日本国宝展』。『後漢書』東夷伝にある例の「金印」の展示が11月中に終わるとかなんとかで、なぜだか強烈に一目見たくなって一大奮起したのでした。

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「ア~~~金印だ!!!光ってる!!!ありがてえ!!!」
「合掌土偶~~~なんかよくわからんけどありがてえ~~~」
「聖衆来迎図!!尊い!!!」
「玉虫厨子……???えっっ???マジでモノホンの玉虫厨子あるじゃん……ヒィィ」

そしてガチャガチャで合掌土偶のフィギュアをゲット。

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挙句、何年も使ってない習字セットを掘り起こして「合掌土偶」と一筆こしらえる始末。

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なんでせっかく書いて自撮りまでしてるのに顔で文字隠れてるんだよ。
なおこのときの日記にはこう書いてある。

きっと、辛くて苦しくて、人々は仏教に頼ったのだろう。願いをかけたんだろう。俺も同じなんだと思った。すがれるものにすがるのは、決して卑しいことじゃない。“救い”を求めるのは、低俗でダメなことなんかじゃない。きっと信じるものがあるだけで、人は強い思いを持って進んでゆけるのだから。 

どうもなかなか参っていたらしい。なんとなくいいことを言ってる風に文章をまとめる手腕が当時から健在であったことがわかる。

2回目は大学1年生のとき、『禅―心をかたちに』。

このときも、忙しかった反動のせいか精神が危うかった。「家の近所のベンチで1~2時間何もせずボーっと座り尽くす」みたいなことを繰り返す日々。禅でもなんでもいいから救われたかった。

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蘭渓道隆像の水晶眼光、大仙院花鳥図、龍虎図屏風などを見た。白隠慧鶴の作品がとてもシャレていたのを覚えている。
このときの日記。

仏になるのではない。己の内に潜む仏を見つけさえすればいい。

瞠目に値するようなしないような、妙な感じである。たぶん値しない。

……ときて、去年5月の『名作誕生―つながる日本美術』。特に病んでたわけではないから、前の2回とは動機が違う。

雪舟、俵屋宗達、伊藤若冲。名前はよく聞くものの、ハッキリ言って俺は彼らの何がどうすごいのか全然わかってない。是非ともわかりたい。それでその「すごさ」を体感しに行った。

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体感した結果、

・若冲のサボテンのニワトリのやつがめっちゃ好き
・宗達、屏風に扇散りばめるとかコラージュとかの発想力がヤバい
・伊勢物語の図屏風、コナンの「から紅」のモチーフだ。竜田川。和葉ァ!!!!!

残念ながら小学生並の感想が無限にあふれるばかりであった。悲しくなった。本当はもっと教養ありそうなことを言いたかった。

いや、でもまあいいや。

審美眼よりも、「この絵いいなあ」という原初的な感覚が一番大事かもしれないと思い直した。難しく考える必要はない。やめたやめた。というわけで『奇想の系譜展』もテキトーに観てこようと思います。

最後に一個だけ言わせてもらうと、『名作誕生』で初めて借りてみた「音声ガイド」のナビゲーターが壇蜜さんだったんですね。つまり日本美術を観ているあいだ、俺の耳元には必ず壇蜜がいた。

壇蜜といえば今やドラマへの出演も多く「おしとやかな文化人」ポジションみたくなってるけど、いやアナタ、ネットで検索したらすごいエロいのとか出てくるよ?大丈夫??それがいま俺の耳元で俺に向かってささやき続けてるの?えっ俺はどうしたらいいの??

そういうちょっと背徳感のあるエロさと共に粛々と鑑賞させていただきました。

日本美術、最高。

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