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広報と鉄槌

以前、所属している団体で企画を終えたあとに書き散らした思考の断片をそっと置いておこうと思う。別に自分が主導していたわけではないから大きな顔をする道理はないけれど、当時はそれなりに切実だった。準備の段階から数ヶ月間は自信を持てずどんよりしていた。

原宿で行われたその企画は、貸し切ったイベントスペースに「インスタ映え空間」を現出せしめお客さんに楽しんでもらおうというもので、俺はふだんの役職どおり広報を担った。よく考えると「インスタ映え」なんて俺が最も忌む言葉のひとつである。それでも楽しくやれたのはひとえにイベントが無事に成功したおかげであり、関係者各位には頭が上がらない。

◆◆◆

死刑宣告の鉄槌を待つような日々だった。

役職は例によって広報。若輩なりに数年の経験は積んだ。型にハマったものごとを定石通りに動かし、定石通りの成果を手に入れる方法ならば知っている。逆に言えばそれしか知らない。吹けば飛ぶような、哀れなほどの脆さだけに支えられていた。

だから人通りもまばらな裏路地に、数百人を呼ぶ方法なんて解らなかった。自分の知る「型」のスケールを完全に逸脱していたのだ。

フォロワーが1万人いるTwitterで何度となく呼び掛けようと、決して1万人に言葉が届くわけではない。どうにもならない。「何とかなる」と無邪気に信じきるには、すでに到底手ごたえのない日々を送りすぎていたし、悪意なき人々の無関心に慣れすぎていた。

10ヶ月という準備期間。100万円というイベント費用。およそ初めて経験するものばかりだ。さらに絡み合う色々な人の想いが、この鍛錬不足の双肩にのしかかっていた。かりそめの怪気炎では払い除けられない。逃げたい。消えたい。タイムリミットは刻一刻と迫り来る。

準備に際して色々な人が頑張っていた。しかし、頑張っているのを見たくなかった。その頑張りがついに水泡に帰したとしたら、どう償えばいいかが解らなかったからだ。優しい人はきっと「君のせいではない」と言うだろう。けれどその優しささえも苦痛でしかないのは予測できた。むしろ擬似的な死の宣告と言っていい。

いつだって最悪の未来を想像しすぎる悪い癖は、鼓動のスピードを否応なく跳ね上がらせる。ブレーキの軋むバイクのように。

だから止まるのは諦めた。跳ね馬のような無様な感情に身を任せる限り、ぎゅっと目をつぶって動いていられた。その感情とは何だったのか。別にみんなの喜ぶ顔を見たいわけではなかった。それと似ているけれど、もっとずっと消極的な理由だ。

ただひたすらに、みんなの悲しむ顔を見たくなかったのだろうと思う。

恐怖という名が一番似合う。しかし愛と呼びたければ呼んでもいい。とにかく、その愛のようなものが呼ぶほうへと進むことで、判決を下す鉄槌からようやく逃げているように錯覚できた。

さて結果については、知っている人もいるかと思うが、それなりに胸をなで下ろせる感じにはなった。というか、もし結果が悪ければこんな文章を書いてる場合ではない。「もう触れないでくれ」とばかりに黒歴史コーティングを施し、雲隠れ一直線だったろう。

いざ終わってみればさほど気が抜けることもなく、相も変わらず謎の焦燥感には追われ続けている。元々そういう体質なんだろう。幸せにはなれない。「失敗してもどうせ死なないから何でもいいや」と考えるようになったのだけは進歩かもしれない。

戦場としてのイベントスペースは今やがらんどうである。また誰かがあの場所で一夜城を造り、各々の戦いを始めていく。勝利の美酒、敗北の苦汁、どちらかを味わう。

心から勝利に酔える人は良い。

けれど、それをうらやみながら、醒めた頭でGREEN DAKARAを飲み続けるのだって悪くはないんじゃないか、と思う。

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