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vs. WBC

ふだんプロ野球もろくに観ない、超絶にわかが言いますよ。いやー。よかったですね。大谷の投球がずーっと気合い入ってて、村上もやっと良いやつを打てて。

(スポーツといえば、変になにかをこじらせたサブカルの人とかが「そういう体育会系でポピュラーなものは観ませんわよ」みたいな態度をとったりもするものですが、そういうタイプに限って「文化系でポピュラーなもの」は摂取していたりするわけで、そんならただの縄張り争いじゃねーかと。結局ジャンル分け隔てなく、ポピュラーなもの、マイナーなもの問わず適当に見りゃいいわけです。)

と、いう構えでぽつりぽつりと観ていますけども。

最終的に思ったのは、プロであれアマチュアであれ、わざわざ文章書くなら、WBCの熱さには勝とうという心構えじゃないとまずいなと。これはだって「かっこいいキャラ」が織り成す「物語」なわけだから。

近ごろの僕は「音楽」というアートフォームに対する圧倒的な勝てなさによってほんとにいじけてたのですが、音楽って「とりあえず流しとく」ってことが可能だし、ライブ中は基本的に他のことしないから、たぶん他のコンテンツほどには「可処分時間の奪い合い」には参加しなくて済むんですね。あと音楽には別に物語だのキャラだの必要ない(作者にはそれは必要あるが、少なくともコンテンツ自体にはね)。そこも重要。

翻ってWBCはどうだと。これはどう考えても、音楽よりも小説や批評に近いやつです。じゃあ勝たなくちゃいかんのじゃねーかと。

いや、ロジカルにこの上記の主張が成り立ってるのかは知らんよ。まじで知りません。コンテンツと作者の関係とか、キャラと推し文化の関係とか、もっと色々な視点から色々なことは言えそうですが、そんなことはどうでもいいんです。なんなら別にわざわざ音楽の話を挟まなくてもよかったかもしれない。とにかく、これに勝たないと嘘だよねと思ったのです。

ブッキッシュなだけで魂の入ってない批評とか論文とか、あるいはただ長いだけで全然おもんない小説だとか、そういうものが溢れかえる世の中なんで。せめて自分くらいはそうじゃないものをやりたい。

とはいえ別に僕は「創作って無条件に尊いよね」みたいな人間じゃないから、創作なんてしなくてもいいんですけどね。だいたい創作を創作とも呼びたくないし。

とかなんとか、うだうだ言いながら、5月の文フリに向けて何かを練っております。できるだけ文章は書きたくないので、過去に書いた文章のマッシュアップによってなんとかできやしないかと思っています。そんな今日このごろです。

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