髪は軽やかに、心はごちゃまぜに
美容院に行ってきた。二か月に一度、私が軽やかになる日。かれこれ7年同じ美容院に通っている。それは、大学卒業後地元を離れてからの年月と同じだ。
その美容師さんは、私が新卒で入った会社を一年で辞めたことも、その後学校に一年通ったことも、その後就職したことも、夫との馴れ初めも、結婚したことも、また会社を辞めて海外に行ったことも、その後転職活動して今の会社に入ったことも、最近家を買ったことも、私のほぼすべてのストーリーを知っている。友人とも違うけど、知人よりは少し近い、なんでも話せるけど、適切な距離を保ち続けてくれる、不思議な心地よさのある人だ。
そんな美容師さんを紹介してくれたのは、今はもうこの世にいない友達だ。
彼女とは高校で三年間同じクラスだった。同じ時期に上京し、社会人になってからもちょくちょく遊んでいた。
彼女は安室奈美恵を熱狂的に好きで(その頃はまだ「推し」という言葉が世の中に浸透していなかった)、私はコブクロが大好きだったから、互いに熱量を持って好きなアーティストの話をよくし、よく聞いた。
二人ともお笑いも好きだから、和牛のあのネタ面白いよね!とか、M-1で一番のネタはやっぱりチュートリアルのチリンチリンやんな!とか、一緒に飲みたい芸人さんはだれやろ?とか、何時間もカフェで話していた。
くだらない話しかしていなかった。
亡くなる一か月前に会った時も、しょうもない話しかしていなかったと思う。
死因は今でもわからない。だから、しばらく実感が湧かなかった。亡くなったことは、友達伝いに聞いた。
今LINEを送ったとしても、当然既読はつかないし、電話も出ない。でもアカウントがある限り、永遠に変わらないあの笑顔で映っているアイコンが表示されている限り、ちゃんと居る気がする。
毎年8月、今年もLINEが教えてくれた、彼女の誕生日が来ることを。
彼女が紹介してくれた美容院に私はこれからも通い続ける。そして心地よいシャンプーの香りと適温のお湯で洗髪されながら、彼女のことを思い出す。
この美容師さんとの出会いは、紛れもなく彼女がいた証だ。
亡くなっても、その人はこの世の構成員であり続けるのだと思った。
彼女と私の違いって、この世に生きているかそうでないか、たったそれだけの違いなんやな。でもそれはとてつもなく、悔しい違いやな。眠りに落ちるほどの気持ちよく洗髪してもらっている間、そう思った。
もし、生きていたら……今も一緒にお笑いのライブを見に行っていただろうし、和牛の単独ライブ当たらなくて悔しい~と言っていただろうし、安室奈美恵が引退したことで発狂していたことだろう。
でも、その「もし」の世界に、彼女は生きているとしても、今これを書いている、この私はいない。この私は、彼女がいない世界にいる。
でも、いないけど、いる。思い出したとき、彼女は、確かに、いる。
この数か月に一度の美容院の時間は、軽やかな心地と同時に、諦念と、会えないことへのもどかしさと、胸の痛さで気持ちがごちゃまぜになる。
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