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「世界は贈与でできている」を読んで

贈与は未来にあると同時に過去にある

この部分を最近しみじみと感じる58歳です。お天気のいい日に犬の散歩をしていると、ふと子どもの頃のことが思い浮かびます。50年前のはるか昔についてです。

その頃の田舎には、スーパーマーケットはまだありません。あったのは小さな個人商店だけ。売っている食品も少なかった。ほとんどの人は畑や田んぼを作り自給自足だったと思います。

多くの人は兼業農家でした。兼業農家とは仕事を持ちながら、空いた時間に家でお米や野菜を作る仕事を兼業する人です。

お店には商品が少なくみんな自分でいろいろ作るため、おすそ分けが当たり前でした。野菜、煮物、タケノコなどいろんなモノをいただいていました。

今でも想い出すのは、料理が得意なおばちゃんからは煮物、漬物、つくだに、おもち、お赤飯、ちらす寿司、おまんじゅう。それに、野菜作り名人でマメなおじちゃんからはゴボウ、山芋、タケノコ、ぎんなん。母親は寒天やようかんを作ってはお返ししていたようです。

今なら食材はめちゃくちゃありがたいのですが、子どもには野菜や漬物のよさはわかりません。大好きなあんこ餅やお赤飯,ちらし寿司のときには大よろこびでした。

そして半世紀たって気づきました。野菜を育てるのも煮物も、とても手間がかかることに。料理にしろ、野菜作りにしろ時間がかかるため、なかなか自分でできません。あの頃にいろんな手料理を味わえたのは贅沢な時間だったなといまになって感謝です。半世紀が過ぎてようやく過去の贈与に気づきました。

すでにあの世にいるおばちゃんやおじちゃん達のマネをしたい。そう思って近所の子どもたちに「五平餅をふるまう」を計画中。そして半世紀後に子どもたには昔近所のおばちゃん達に五平餅をもらったなあ。おいしかったなとバトンを渡したい。

最後にこの本を読んで、平凡な毎日の繰り返しを過ごせるだけで幸せなんだと気づきました。変わりたいけど変われないとあせっていた少し前の自分におすすめの本です。この先も繰り返し読みながら、考える一冊になりそうです。

#キナリ読書フェス








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