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リードを「聴く」

ペアダンスはリードとフォローで成り立っている。フォロワーの役目はリーダーから伝わるリードを「聴く」ことである。

僕はこの、「リードを聴く」という表現が好きだ。最初にリードを「聴く」と表現した人のダンスへの感度と言葉のセンスに拍手したい。


音楽や人の話を聴くという行為と、ペアダンスでフォローをしているときの身体感覚は似ていると思う。両者の共通点は「遡及的にしか捉えられない」点だ。

遡及的(そきゅうてき・さっきゅうてき)というのは、「過去にさかのぼること」みたいな意味だ。


人の話を聴く時を例にとる。

あなたが誰かの話を聞いている時は、相手がことばを言い終わるまで集中して聞かなければいけない。

「昨日見たNetflixの映画がめちゃくちゃおもしろ…」まで聴いても、「面白かったからオススメだよ!」なのか「面白くなくて最悪だった」なのかは分からない。

「聴く」行為は、最後まで聴いて、内容をさかのぼって初めて「こういうことを言ったのか」と捉えることができる。話が完全に終わって、それを振り返って、あなたはやっと意味が分かるのだ。


同じことが、ダンスのフォローでも言える気がする。

今伝わってきているリードに追いていった後で振り返って初めて「あのステップをしてたのか」と捉えることができる。

特に、一歩一歩に即興性があるアルゼンチンタンゴのようなペアダンスでは、「このリードってことは今から5歩はあのステップだな」とフォロワーが未来予想出来るという現象は、ほぼ起きない。

フォロワーは、先が分からない暗闇の中で、目の前の一歩だけはリードによって足元が照らされている。今自分が何をしているかは分からないが、その動きが終わって振り返ることで初めて、「何をしたのか」が分かるようなものではないだろうか。

このように「物事が終わってから、それを振り返ることで初めて何が起きたかを捉えられる」(=遡及的にしか捉えられない)という点で、確かにフォローはリードを「聴く」行為なのだと思う。

僕は今まで、「リードを聴く」という表現を比喩的な表現だと思っていた。タンゴを会話に見立てて、リーダーが話し、フォローが聞くという構造の中から出てきた比喩だと思っていた。


しかし、最近はそうでは無いのかもしれないと思うようになった。フォロワーがリードを聴く時、あれは正真正銘文字通り、「聴いている」のだ。




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