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寂しくもロマンチックな想い出は: ”坂道”

私はアメリカの私立高校で世界史を教えています、そして毎年最初の授業では生徒に楽しく学んでもらうために幾つかの約束事をします。

  1. 自分が思うように世界地図と年表を組み合わせて作り・使ってよい

  2. 暗記が必要な問題はテストに出ない

  3. テストや論文は全てオープンノート(授業で使った記事や地図なども持ち込み可、もちろん自分で調べて補足したノートも可)

このあたりで生徒たちは歓声を上げて色めき立つのですが、もちろん全く勉強しなくてもいいわけではなく、史実や人物を覚える代わりに私の授業では3つの考えるスキルを軸に講義やディスカッションを進めます。
このスキルは歴史だけではなく他分野の学習や日常の色々をよく理解するために使うべき・使うとより考える力がつくスキルです。

この3つのスキルが私の授業の中心です
Inference・インファレンス(情報から背景や人物像などを推察・推論)
Synthesis・シンセシス(複数の情報を照らし合わせて考察)
Analysis・アナリシス(一つのターゲットを細かく分けて分析・考察)

とにかくしつこいほど毎日毎日多方向から考えさせているw

このスキルをどのように世界史の授業で使っているかはまたおいおいnoteに書こうと思いますが、今日はInference・インフェレンス(推察)のスキルを使って坂崎幸之助さん作詞の”坂道”(1980年発売のアルバム”讃集詩(さんじゅうし)”に収録)を考察します。

現在The ALFEE の楽曲制作はほぼ100%高見沢さんがしているのですが、過去に坂崎さんが作詞されている名曲が数曲発表されています。
その中でも”坂道”はその歌詞から、デビュー後にアルフィーを抜けられたMさんのことを歌っておられるのではないか、と思われています(ドリームジェネレーションという若い時代のアルフィーさんを描いた漫画にもお別れの場面でこの曲を思わせる描写があるそうです)。

聴きながら情景が浮かぶような素朴でシンプルな言葉ながら、誰もの心に響くこの”坂道”の歌詞ですが、よくよく読むと坂崎さんのロマンチック詩人な一面にだーーーーーっとやられるほどに深く作り込んである表現ばかりです。

”坂道”の桜井さんの美しくも切ない美声に聴き惚れながら、真打・ラスボス・”盆栽”に隠れた天才・坂崎さんの表現力にうっとりしてください

Inference とは文章には書かれていない背景や状況を文章にある言葉や表現から察することです。

例えば”ジャケット持ってきてね”と言われれば行き先は寒いのだなと推測できる、そんな風に述べられている以上を聞く・見る力です。

長い坂道を見ると 学生達が急いでる いつかあいつと降りた駅の方から
遥かな街が広がる あの日この道で別れた 振り向かない約束をして
小さくなった あいつの後姿に 一度だけ手を振った

坂道:作詞・坂崎幸之助

長い坂道は実際にある明治学院大学(*お3方の出身校)へ続く緩やかな坂かもしれないし、人生そのもの・先の見えない未来・困難へ進む覚悟・いつか転がり落ちるかもという恐怖・上には届かないかもしれないという不安、などの比喩とも解釈できます。

続く表現からもこんなインファランスが出来ます。
学生達が急いでる:自分も学生ならば第三者的な”学生”という表現はしないので、自分はもう学生ではない(坂崎さんはすでに大人)

遥かな街が広がる:広がる様子は上方からしか見えない・・・なので自分はもう(坂道を随分上がった)”上の方”にいる(後戻りはできないほど上)

一度だけ手を振った:振り向かない約束をしたのに坂崎さんはしばらくして振り返ってしまった。もうあいつは遠くへ行ってしまったけれどそれでも手を振ることで、自分の中で”これで終わり”とケジメをつけたのかもしれない。

全てを比喩として捉えればあいつと自分は違う夢に向かって歩き出した・あいつも自分もその決心に後悔しないという”約束”をし、もう近い関係ではないのが”小さくなった”後ろ姿、から推測できます。

"俺は このギターをいつか 自分のものにするんだ"と
二人通った楽器屋も 姿を変えて 今はただ通り過ぎるだけ

 

二人通った、からあいつも音楽を長くやっていたのがわかります(通う、なので何度も訪れている)。
そして時間が随分と経ち、あの楽器屋が今の自分とはかけ離れた興味のない場所になってしまったことから、坂崎さんはまだ楽器関係の夢を追っているのかなと想像できます。

これから あと どれくらい 坂を登れば 良いのか
きっとその度に俺は 振り向くだろう 一度だけ手を振るために

↑この部分から坂崎青年がまだ夢を追っている途中だということがわかります。まだ坂のてっぺんに登りきれてない・たどり着くのかもわからない不安が感じ取れます。そして何をどうすれば坂の上にたどり着くのかもわからない・・・若い時代のアルフィーさんが色んな仕事をこなして試行錯誤していたことが思い出されますね。
そしてこの思わせぶりなその度にという表現。
これはサビの歌詞からどの度なのかが推測出来ます。

(1番サビ)ようこそ想い出 ホロリ一粒を 頬にこぼそうとしているのか
ひとときだけなら 付き合ってもいい あとは 何処か 消えていってくれ
(2番サビ)さよなら想い出 別れを告げたのに まだウロウロしているのか
しばらく君には 会わないでいたい 早く 何処か 消えていってくれ

サビの部分の”消えていってくれ”でドキッとしてました

このサビの部分は別れてしまった友(あいつ)を歌っているのではありません。
坂崎さんが対話しているのは擬人化されている”想い出”という存在です。

坂道を見る度・通る度(比喩であれば自分がこれまできた道のりを振り返る度)にどうしても若かった日の”想い出”が浮かぶ・・・

坂崎さんにとってこの想い出は(涙が出るほどに)懐かしく美しいものでありながら、感傷に浸っていては自分はこの坂道を登り切る(夢を達成する)力がないことがわかっている。この坂を選んだことを後悔してしまうかもしれない。
なので短い間なら想い出に思いを馳せてもよいけれど、心が一杯になるほどには考えないようにしたい(何処か消えていってくれ)。

さらには”消えていってくれ”と吹っ切りたい想い出は、何かあるごとに頻繁に頭に浮かんでくる・・・
”しばらく君(=想い出)には会わないでいたい”と何とか若い頃の夢いっぱいだった自分を忘れて・置いて、後悔なく前に進むのだというどこか弱々しい決心が見えます。

その度というのは”想い出が顔を出す度”、だと思います。

若き日の想い出が心に浮かぶ度に、美しい過去を振り返り、そしてやっぱりダメだと”手を振る”。
自分の決断は間違いだったのかもしれないほどに坂道はまだまだ続いている。
心細くなり、昔のことを・あいつのことを想い出す。
その度に懐かしく振り返ってはいるけれども、過去に縋ってはいけないのだ、と自分を奮い立たせる、そんな不安がいっぱいだけれども頑張らねばと前を向く坂崎青年が見えます。

68歳になられた今、このような歌詞は書かないでしょうね。
年を重ねた坂崎さんは、色々な場で若い頃の思い出話を楽しそうに話されています。しかも昔の日記も見つけたし、色んな出来事を細部までよく覚えていますよね!

現在のアルフィーさんは想い出を振り返りその一つ一つに”あれでよかった、ありがとう”と感謝を捧げているような発言をされます。
”あの時はこうだった、ああだった〜”と笑って話されるたびに、お3方の坂道は長く苦しくても3人で一緒に力強く一歩ずつ登り詰めた道のりだったのだなぁと感じています。

”坂道”はそんな今のアルフィーさんにとって、お互いの若い時代を美しく残し今をさらに輝かせてくれる一曲なのかもしれないですね。

シマフィー

坂崎さんが1日も早く元気になりますように、と願いを込めて今回は坂崎さん作詞のこの曲にしました。

アルバムでは桜井さんが歌っていますが、坂崎さんが歌われている動画を見つけました。素敵だ〜〜💖(*アルフィーさんは公式ゆーつーぶがありませんのでファンの方がアップしている動画です)


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