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書きたい・書ける・書こうか・書けない

2020年の10月29日から休まず毎日更新してきたnoteを6月13日で停めた。

毎日続けることが楽しくて書きたい、書きたい、とあれもこれもと思いのままに綴った”毎日生きてますよ”の更新だったが、13日が終わり14日に入るともう書けなくなってしまった。ぱったりと。

594日間、そんな半端な日数で終わりにしてしまうとなんとなくモゾモゾと嫌な気持ちになる。なぜ600日で終わるまで書かなかったのだろう。

この2年で日本語を毎日書く(しかも自分の記事は2000文字以上の長文も多いです、読むのも大変ですね)という偉業(笑)を果たした自分はなかなか偉いな、とも思う。
ここ30年以上英語が主の人生であった私が長文の日本語を書き、それを誰かに読んでもらい、時にはコメントで会話を楽しませて貰い、不思議なことにここで本当に心地の良いコミュニティの一員に加えてもらったようで今更ながら すごいな と感じてる。書こう、という決心で世界が広がり居場所も見つけた。

書く、という自分の意思の動きが水面に広がる輪のように、風で動いた木々の葉の隙間を通る光のように、噛み砕き飲み込んだニンジンがゆっくりと栄養に変わるように、じんわりと大きく形を変えているのだなぁ、と思う。

それなのに、書くのをやめる前の何日か、もしかしたら何週間か、は”書きたい”ではなく”書ける”という動きだった。続けるために何かを見つけて書かねば、な気持ちだったのかもしれない。それでも毎日何かを綴るのは楽しかった。

6月14日はパソコンの前に座り、”書こうか” と構えていた。トピックも写真も決まっていた。それなのにもう書けなかった。

それからの三週間は生き返りに必要な期間だったのだろう。
蛹のような、脱皮中のような(笑)
美味しいご飯を食べ、庭の木々を見上げて音楽を聴き、学校で生徒と笑い、溜まった仕事をこなし、シマリスをよしよしして、夫とビールを飲む。
書く、という1つの習慣が不要になりその分に使っていた栄養やエネルギーがよそで使われたような気がする。かといって生活は変わっていない。

シラっと消えてしまった間にコメントを残してくださった皆さん、ありがとうございました。楽しみにしてくださっていた人がいるのだなぁと涙が出ました。
ご心配おかけしてすみません。

シマフィー 

サギが来たよ

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