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高見沢さんのキラリ★言葉のマジック

これまでにたくさん The ALFEE の楽曲の考察をしてきましたが、一曲まるまるの考察には至らずとも、部分部分で 
”おおっ!これはまさしく高見沢さん!” 
とニヤニヤしてしまうフレーズに巡り合うことがあります。

今回はそんな小さなフレーズにキラリと光る高見沢さんマジックを集めて考察します〜! 

考察1 ”ラブレター” 見えない背景を見えないまま描く高見沢さん

まずは1979年に発売された初の高見沢さん作詞作曲のアルフィー再デビュー作、”ラブレター” からこの部分↓の文学的な状況描写を!

それは あなたからの古いラブレター 懐かしい文字で散りばめられた
あたたかい愛の言葉 波をうって 今も私の胸 熱くさせる

”ラブレター”より

前回の考察(”坂道”)でインファレンスについて書きましたが、このラブレターの愛の言葉は波をうっている・・・どうしてだろう、と思いませんか? 文字自体が波をうっているのか(高見沢さんの筆跡はかなり独特で難解だと桜井さんも言っていました笑)な、と思われますが歌詞の内容から理由は以下の二つかな、と推測します。

1.以前読んだ時に涙がこぼれて紙が濡れてしまった。
この解釈だと”ラブレター”の彼女はこの手紙を貰い読んだ時に彼の愛の深さに感動して泣いたのかもしれない・・・もしくは別れた後に何度も読み返し、その度に後悔の涙を流したのかもしれない、と考えられます。濡れては乾き、を繰り返してラブレターの紙は波打ってしまった。

2.別れた後に一度、捨てようと思い握りつぶした。
文字が波をうっている、ということは紙自体がピンと張っておらず、くしゃくしゃになっていることが推測できます。無造作に引き出しに押し込んでもそうなると思いますが、全体の歌詞から考えると自分で握りしめたのだろう、と推測できます。彼を忘れたくて捨てようと思ったのにやっぱり捨てられなかったラブレター、悲しみが増しますね。

高見沢さんの歌詞には、初期の作品は特に、このような文学的で詩的な表現や、行間を埋めずとも聞き手が想像を大きく膨らませ映像化できるものが多いです。
この波をうってのフレーズだけで彼女の過去や現在の心情も見えます。

考察2 ”Pride” 助詞をうまく使って空間と意味を広げる高見沢さん

桜井さんボーカルでお3方のアカペラ部分に感動する ”Pride” には小さな工夫で大きな映像を描くテクニックが隠れています。この部分です↓

叶わなかった夢が君に 立ち止まることを教えた
春の日には花 夏の空に雲を 瞳に映しながら

”Pride”より

高見沢さんの助詞を使った印象操作です!
以前、”My Life Goes On” の考察をした時に ”ミケが” と”ミケは” という助詞の違いを書きました。
この 夏の空に雲を の部分に違う助詞を使っていたらどう印象が変わるか、見てみましょう。

可能性1.夏の空には雲を・・・に を には に変えてみる
これ以前の部分 ”春の日には花” と後の部分 ”瞳に映し” を考えると、ここは ”夏の空には雲を” のほうが正しいような気がします。
が!これだとちょっと ”春の日” の意味が変わってきます。

春(の時期)は日=太陽の中で花が輝く様子を瞳に映している(=見ている)。
日・太陽をバックに花を見ている、もしくは太陽を見るとそこに存在してなくても花が自動的に瞳に映る。
(それと比較して)夏(の時期)は空の中に雲が浮かぶ様子を見ている。
空をバックに雲を見ている、もしくは空になくても雲が見える。
比較するのは季節の違い(春vs夏)+バックグラウンド(太陽vs空)・・・これはこれでありのような気がしますが、どうかな?

可能性2.夏の空の雲を・・・に を の に変えてみる
ではもう一つの可能性、”夏の空雲” だとどうでしょうか。
空の雲、だと焦点が当る主役は 雲 です。すると瞳に映るのは雲だけ。
空は単なる背景になり、なんとなく存在がぼやけてしまいます。
春は花を見ている、夏は雲を見ている、という単純な比較になります・・・これでも十分意味は通る比較になりますが、どうかな?

やっぱり3.夏の空に雲を・・・高見沢さんが書いたそのまま
じゃあ高見沢さんはどうして ”夏の空雲” としたのか・・・それは聞き手が想像している風景を広げたかったからかなと思います。
この  は何かが存在する場所を表す  で、場所自体もそこにある物体にも焦点が当たります。
例えば シマリスの学校アルフィー(が来た)、だと私の学校(という特定の場)にアルフィー(という特定の人物)となり、文章内で両方が重要な存在だとわかります。
なので 夏の空に雲(が流れている)、だと空も雲も主役です!
これだと青く澄んだ空に浮かび流れ行く雲という大きな風景が瞳に映ります。

この に 一つで、高見沢さんは 花 という足元にある小さな存在、空と雲 という見上げた先にある大きな存在、どちらも見ていた、という大きな対比を作り出しています。

これは意図して  にした気がしますね。高見沢さんはそういう天才やと思ってます!


考察3 ”白い夏バレンシア”  えっ!そうなの?という隠れた伏線を張る高見沢さん

最後は桜井さんが得意な(?)行きずりの恋を描いた ”白い夏バレンシア”
高見沢さんが得意な隠れた伏線が登場します。

揺れる恋心 アンダルシアの娘 情熱の瞳が 俺の心とらえた
放浪(さすらい)の恋と わかっていたはずさ 
〜 熱い風が 胸を吹きぬけた 白い夏バレンシア 
二度と燃えない 恋だからこそ

”白い夏バレンシア”より

セクシーな桜井さんが100万倍セクシーに歌っている曲ですが、私はスペイン(セビリア)で仕事をしている時期にふと気がついたんです(その時はアルフィー離脱の長い冬眠時代でしたがそれでも気がついたw)・・・・

バレンシアでアンダルシアの女に恋したの???

バレンシア、アンダルシア、どちらもスペインの州でありうまいこと韻も踏んでいるので、それまであまり考えたことがなかったんですが、バレンシアとアンダルシアってめっちゃ遠いんです!(500マイルにちょっと足らんくらい)

フラメンコで有名なセビリアはアンダルシアにあります!(wikiから引っ張ってきた地図に描き足しています)

ということは・・・旅の途中の短い恋、だったのは桜井さんだけではなく、女性のほうも!!という可能性が出てきました。

日本からスペインへ飛んだ桜井さんが降り立ったのはマドリッドかバルセロナの空港だと思いますので、そこからバレンシア〜南を目指す(のかな)・・・そして女性はアンダルシアから北上してバレンシアにいた、ということです。そのまま更に北上してバルセロナを目指すのかもしれません。

桜井さんは南へ、女性は北へ・・・そうだとしたらもう二度と出会うことはほぼないです。曲中にあるように ”二度と燃えない恋” だと思われます。


高見沢さんの歌詞は本当にバラエティに富んでいて、ストレートなメッセージや応援の言葉や、ファンタジーの世界、自分の恋愛をそのまま描いたのかなと思えるほどにリアルな状況描写、社会問題を風刺するようなもの、など引き出しの多さに飽きません!
またの機会に色んな楽曲に隠れている天才・高見沢さんを見つけてシェアしますね〜!

ちゃっちゃっと書こうと思ってたのにめっちゃ長くなってしまった笑
それもこれも高見沢さんが天才な男前が過ぎるからです!罪な男!好き!

シマフィー

* アルフィーさんは公式ゆーつーぶがありませんのでファンの方がアップしている映像です。めちゃめちゃかっこいいお3方にニヤニヤした後はCDやサブスクで聴いてくださいね!公式のTHE ALFEE HPでDVDも売ってます!



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