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どんぐりひとつ:お母さんが出ていった

11月も半ばを過ぎ、もうすぐ秋学期が終わる。キャンパスの木々はここ1−2週間で一気に色を変え、足元にはたくさんの落ち葉とどんぐりがあった。(*アメリカ東で教師をしています)この時期になるとかわいいあの子の笑顔を思い出す。



学校のメールのスパムフォルダーを整理していた。気づけばしばらく見ていなかったのだろう、何百件というジャンクメールが溜まっていた。

その1ページ目の一番下に見慣れた名前が見える。

ソンジエ M、とだけあったが、これはひょっとしてあのソンジエだろうか?と半信半疑ながらに開いてみた。

私が最後にソンジエに会ったのは彼がまだ5歳の時で、あれからもう8年が経っていた。5歳にしては体が小さくておかっぱ頭の可愛らしい顔で、ニコニコと私の手を握り校内を一緒に散歩したり、植物採集に行ったり、双眼鏡で鳥を見たりした。

ソンジエのお父さんはアメリカ人、お母さんは韓国人で、彼らは9月の新学期にソンジエのお兄ちゃんと4人でうちの学校に韓国からやってきた。
お兄ちゃんは3年生のクラスで頑張っていたが、お父さんが働いている間、ソンジエとお母さんは家で留守番だった。

学校のウェルカムパーティーでお母さんにも会い、挨拶をしたのだが、つたない英語で ”英語ができなくてごめんなさい” と恥ずかしそうに言い、同僚に色々と通訳してもらいながら小さい学校の職員全員に挨拶をして回っていた。
彼女の小さな後ろ姿とその後ろをちょこちょことついて回るソンジエを見ながら、私はぼんやりと ”大変だなぁ” と思っていた。

夫の赴任で言葉も分からず、知り合いもいない田舎の街に引っ越してきて、周りは韓国人どころかアジア人を見ることすら珍しく、韓国の食材を買える店も車でしばらく行かないとない・・・彼女はホームシックにならないだろうか、と人ごとながら心配だった。心細いだろうな、とかわいそうだった。

10月になると、彼女とソンジエが図書室で遊んだり本を読んだりしているところに出くわすことが多くなった。私も彼女にゆっくり話したり、身振り手振りや時には絵を描いたりしてなんとか会話をしようと試みたが、なかなかうまく行かず、最後には二人で顔を見合わせて途方に暮れ大笑いすることもあった。

同僚に聞くと、家に篭ってばかりなので退屈だろうし、英会話の勉強にもなるだろうから、と学校に連れ出している様だった。彼女もソンジエもいつもニコニコしていて、私はソンジエが何を言っているかは全く話からかなかったけれど一緒にお絵描きをしたり水槽に泳ぐ魚を見たりするのが楽しみになっていた。

そして11月の感謝祭休みが明けた2日後に、彼女は消えた。

子供二人と同僚を置いて、消えてしまった。

同僚は朝からあらゆるところに電話をしたり、警察に出向いたりしていて忙しく、午前中ソンジエは校長先生のオフィスに預けられていた。
そして私の午前中の授業が終わると、校長先生に連れられて、教室にやってきた。

”ソンジエが、シマ!シマ!と呼ぶから” と校長先生に言われ、事情をざっと聞くと涙が出てきた。

ソンジエはお母さんが出て行ったことを知らないだろうけど、何か大変なことが起きているのはわかっているだろう。どんな気持ちでいるのかをいくら韓国語で伝えても誰もわからず、お父さんもお兄ちゃんもいない。唯一顔見知りだった私の名前を校長先生に伝えたのだろうと思うと、苦しくなった。

ランチの時間だったので、カフェテリアまで手を繋いで歩く。

ソンジエは韓国語で色々と話しかけてくるが、私は おーーー とか ほーーー とかしか返してあげられない。それでも道すがら、松ぼっくりを拾ったり、生徒たちとハイタッチしながらソンジエはニコニコと歩いていた。ただ私の手をいつもよりぎゅっと力を込めて握りしめていた。私がどこかに行かない様、ぎゅっと握っているのかなと思った。

その日、お母さんは帰ってこなかった。

その次の日も、その次の日も、その次の週も帰ってこなかった。

彼女はストレスと我慢と多分もっと複雑な事情で韓国に一人で帰っていた。同僚は彼女の居場所と無事がわかりほっとしたが、子供二人を置き去りにされて途方に暮れたろうと思う。彼女は子供を連れて帰れない事情があったのだろう、1つ間違うと”誘拐犯”として捕まる可能性もあるのだから。

同僚は”もうすぐ帰ってくる”と言っていたが、月日はそのまま流れ、学年末の試験が終わった6月末にも、お母さんの姿はなかった。

その間、ソンジエは日中は私や、校長先生の秘書や、文学の先生や、美術のインターンや、中学生や高校生のお兄ちゃんお姉ちゃんやらに世話を焼かれていて、相変わらずニコニコと可愛らしかった。ちょっとずつ英語で欲しいものや、見たものや、自分の気持ちなども言える様になっていて、”シマ、一緒にお絵描きしよう” と誘われた。

私の科学の授業にちょこんと座っていたことも何度もあった。教室の隅で静かにレゴを組み立てていることもあれば、解剖の授業は身を乗り出してきゃあきゃあと叫んだ。植物採集についてきて、自分の袋いっぱいにどんぐりを集めたこともあった。男子生徒に肩車をされて大きな声で笑っていた。

夏休みが始まり、またねバイバイとハイタッチをして別れたのがそれっきりになってしまった。同僚は子供二人を連れて韓国に戻ることに決め、夏の間に引っ越してしまった。


それからしばらく経って、風の便りに彼らがまたアメリカに戻ってきたことを聞いた。お母さんも一緒だと聞いた。

ソンジエは元気にしているだろうか、お母さんは元気になっただろうか、と気になったが連絡先も知らずそのままだった。


ソンジエは中学生になっていた。

”シマ、覚えていますか、ソンジエです。今、ペンシルベニアの中学に通っています。家族は全員元気です。シマに感謝の気持ちを伝えたくてメールしました。お母さんがいなかった間、いつも一緒にいてくれてありがとう、あの時集めたどんぐりを1つまだ持っています。見るたびにシマと散歩したことを思い出します。”

流暢な英語で書かれたメールがみるみる涙で滲んで見えなくなり、5歳のソンジエの顔が浮かんできた。そして添付された家族写真を見ると、そこには大きくなったソンジエのニコニコの可愛い笑顔があった。
お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも、みんな笑顔だった。


シマフィー 

*過去記事に加筆・修正して再掲載しています


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