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高見沢さんが語りたかったThe ALFEE

3月5日のTBSラジオ・ロックばんを聴いてちょっと泣いてしまったアルフィーファンは多いのではないだろうか。

今年は結成50年、来年はデビュー50周年。50年続くこと、それも一人ではなく誰かと一緒に続けていることは普通の人間にとっては想像もつかない”偉業”と言っていいと思う。
だって・・・30、40、50年続けてきたことって皆さん何かあります?
結婚とか仕事とかがそれに近いものだと想像しますが、それだっていつも前を向いて進化して、無数の人に感動や勇気や夢を与えて、信念をブレさせることなく、新しい試みもこれまでの”伝統”も大切に続ける・・・そんな結婚や仕事をしている人がどれだけいるだろうか。
The ALFEEとしての50年。立ち止まらず、距離を置かず、崩れず、弛まず、沈まず。

この日高見沢さん自身が語りたかった、聞いてほしかった、知ってもらいたかった、そしてみんなの心に残しておきたかったのは一体何だっただろうか。
”いつも聞いてる話” や”もう知ってる話” の奥に潜んだ高見沢さんの本当を自分なりに考えたい。

高見沢さんのお話は次の3つの点に集約できると思う。

1.音楽の幅の広さと違い=3人合わせて The ALFEE

高校生・70年代の外タレ来日ラッシュで”本物”のロックバンドを生で見たときに受けた音の衝撃と、特に感銘を受けたLED ZEPPELINの”移民の歌”と”天国への階段”。自身の世界観を変えたロックの洗礼を受けてそれ以外は聴かなかった高見沢さん。そんな高見沢さんが、大学でフォークとアコースティック少年だった坂崎さんに出会ってアルフィー前身のコンフィデンスに加入した。
その話をしているときに高見沢さんはふたつカギになる発言をしている。

1. 一緒にコーラスをやることで自分の声が高いということに気づいた
2. フォークを聴いて馴染もうとしたけれど時間がかかった、でも楽しかった

1の真意は高見沢さんが自分の居場所、それも心地よく何かの一部になれる場所を見つけたことを指しているのではないか。のちにアルフィーが続いた理由は”ウマがあう”からだと何度か言っているが、みんな次男坊だとかおっとりとした性格的なことだけではなく、ロックに出会って世界観が変わった高見沢さんの世界がまた大きく膨らみ、その中にある自分を取り巻く大事なものがハッキリと見えたのだろうと思う。
2で言っているようにあのロック一辺倒だった高見沢さんが時間をかけてでも桜井さんと坂崎さんに合わせて”馴染もう”としている行動がその世界を”完璧なもの”と捉えたのだろうと思わせる。そして高見沢さんはその馴染もうとした時間が楽しかった、と笑っている。自分の主義主張を変え誰かに合わせるのは辛いことの方が多いはずなのに、彼は楽しかった・・・それはもうその時点で二人がいない人生なんて考えられなかったということなのではないだろうか。

この番組で語られた一番最近の出来事は”恋人になりたい”の出だしに入れなかった桜井さんのことで、何度も笑い話として語られているけれど、大きな愛が隠されている。
高見沢さんは”メロディーがないから俺と坂崎はどこ行っていいかわからない”と言った。主旋律を歌う桜井さんの声がなかったことで、あのプロの二人が”わかんない”状態になるという意味はやっぱりアルフィーは3人で一つ、”3人合わせてTHE ALFEE”なのだということ。
他のバンドが楽屋でメンバーのミスを指摘して殴り合いの喧嘩をした、というくだりでは高見沢さんは”それもそのバンドの姿勢なので良し”と言っているが、その横でトランプで楽しい時間を過ごしていた自分達はやはり世間一般とは違う、ということを感じている。
アルフィーと解散してしまったバンドの違いはその”国(バンド)”の在り方であり、個々を尖らせる”バンドの顔”が無いという平和主義を貫く姿勢であり、その国をそれぞれが心から愛していることだと思う。

2.良いコミュニケーション=相手への愛

プロになった当初は洋楽のコピーをする技術があれどオリジナルがなく、プロとしての個性や主義主張がなく、悩んでいたと言った高見沢さん。
ガロの大野さんからの”コミュニケーションが大切”というアドバイスは”やっぱりね”と思いながら聞いていたに違いない。
3人で一つでありながらそれぞれのポジションを最高の状態にするために努力し、頑張りを褒め称えあったり、角が立たないようアドバイスしたり、尊敬の念をオープンに伝えたりと自然に素晴らしいコミュニケーションが取れていたのだろう。
良いコミュニケーションの基本は相手を思う気持ちだ。
相手が自分の言葉をどう受け止めるか、どんな気持ちになるか、を測りながら言葉を選びトーンを変え、表情をつけなければならない。それを面倒だ、と思う相手とは一緒に居れない。
3人はそれぞれがお互いを思いやって発言しているのは配信でもラジオでもよくわかるし、言葉の端々に愛を感じる。アルフィーキッチンが良い例だ。
相手を思い・愛するからこそ、オリジナル曲が無いという状況を脱するために努力して作詞と作曲に試行錯誤し、3人で歌いファンに届けることを心に決めてアルフィーの”制作部”になった高見沢さん。音楽というコミュニケーションを受け止める私たちも3人の互いへの愛、そして私たちへの愛を強く感じている。そしてライブへ行き、配信を見て、ラジオに投稿し、SNSで大好きだと宣言してコミュニケーションで受け止めた愛を3人に返している。
3人もその愛を感じ続けてきたからこその50年なのだろう。

3.人間性が繋ぎ保つ信頼と実績=愛さずにはいられない

自分にないものを相手が持っているのは強い、そういう繋がりがアルフィーを作ってきた、と高見沢さんは言っている。
そんな風に素直に引け目や嫉妬心なしで、心からの信頼と尊敬を持てる相手に出会い、関係を続けていくのはレアなことだと思う。
それは3人だけではなく、周りのスタッフさんや仕事で出会った色んな人たちともそんな風な信頼と尊敬をベースに繋がって来たのだろう。以前イベンターさんたちとのやりとりを配信で目にする機会があったが、短い会話の中にも互いへの敬愛が強く感じ取れるものばかりだった。
音楽業界の先輩や同期の仲間、後輩たちにも慕われているのはテレビやラジオでの様子からもよくわかる。
高見沢さんが”大御所にならなくていい、みんなに愛されるアルフィーでいたい”とライブで言っていた、とSNSで見かけた。
偉ぶらず謙虚で優しく心が広い・・・人間として理想のような人たちだ。

自分達がやりたいようにやってきて、それを支えてくれるスタッフに認めてもらう、という”総合力”でアルフィーはここまで来た、自分達の力ではない、と言い切った高見沢さんがかっこいい。
そういうところを間近で見ている周りの人たちは彼らを愛さずにはいられないだろうと思う。

音楽性の前に人間性!と主張する高見沢さんの後ろで笑顔で大きく頷く桜井さんと坂崎さんが見える。
3人仲良くやりたい音楽を楽しくやるだけ、方向性もへったくれもない。
そんな3人の生み出す熟成した音や幅広い音楽、個々が際立ちつつも最高の状態で重なる声とサウンド、アルフィーらしくアルフィー以外はあり得ないバンドに私たちも癒やされている。

3人だと嫌なことは3分の1、良いことは3倍!そう笑う高見沢さんに伝えたい。

その3倍は何百倍にもなって私たちが受け止めています。
日常の嫌なことはあなたたちがいるから小さく小さく萎んでいます。
高見沢さんが高校生の時にロックに出会って世界観が変わったように、The ALFEEの音楽がたくさんの人たちの世界観を変えました。
長く続けてくれてありがとう、やりたい音楽を楽しんで続けてくれてありがとう、いつまでもThe ALFEEでいてくれてありがとう。
私たちの世界を大きく豊かに平和にしてくれて本当にありがとう。
あなたたちに出会えたのが私たちの”偉業”です。

シマフィー



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